映画を撮ったり、写真を撮ったり。絵を描いたり、小説を書いたり。コードを書いたり、感想を書いたり。

@TOYOZUMIKouichi

リズと青い鳥 良かったところの感想

リズと青い鳥の二回目を観てきた。今日は初めて川崎チネチッタのLIVE ZOUND上映を楽しんできた。僕はあまりネットの映画館の評価と合わない。例えば、評判のいい立川の極上爆音上映は耳が痛くてガルパンの映画を僕は耳をふさいで見ていた。けれども、LIVE ZOUND上映は非常に楽しむことができた。非常に聞きやすい音だった。行ってよかったと思う。設定集も買えた。

先日書いたリズと青い鳥 感想は久し振りに大勢の方にお読みいただけたようで、嬉しいかぎりである。

しかしブコメで、id:reijikan氏に「良いところの感想も読みたい」と言われ、id:spicychickenlike氏に「粗探しばっかり」と煽られ、id:synonymous氏もそれに同意されているようだから、よかったところを書いていこうと思う。

ただ、はっきり言っておきたいのは、粗探しはしていないということだ。初めてみる映画を眺めていて引っかかったところを記しただけだ。そしてそれは、良い映画を傷つけたと感じているところだ。ピクセル等倍で写真を眺めてわずかなピンずれや色収差を殊更に騒ぎ立てたわけではない。なんかこれ撮像素子に4つぐらいデカイゴミついてるよね、青空が綺麗なのにめっちゃ目立つよ、ちゃんと掃除するなりレタッチしろよ、という話である。粗探ししようと思えばたくさん見つかる。もちろん、好みではないから、やらない。

さらに良いところも書いた。ただ、ざっくりとしか書かなかったのは理由があって、それは自信が持てなかったからだ。見終わってから、ざっと感想を眺めたところ、僕とは全く違う映画の捉え方をしていた人が大勢いた。だから、トイレを我慢しながら観ていたし、何か勘違いしたのではないかと思ったのだ。

今日はそれなりにちゃんと追えたので、細かい見落としはあるかもしれないが、よかったところを書いていきたい。ただし、そんなわけなので、多分みなさんが「うんうんそうだよね」と同意して安心できる感想ではない。端的に言えば、不愉快になるかもしれない。どうやら、僕が普通じゃない見方をしてしまったらしい。

で、だから監督の意図と多分違うし、監督の意図を読むべき正しい読み方に従うべきだ解釈とはただひとつ正しい解釈があるんだみたいなハックルおじさん主義の人は読まないほうがいいですよ。忠告しましたからね。それでも良いなら読んで下さい。

僕はこの映画は、傘木希美という一人の少女の描き方が素晴らしいと思っている。この少女には、珍しい実在感があって、その心理が非常によく描けていると思ったのだ。

その心理描写を一番感じたのは、最初の登校シーンである。映画の始まりのあたりってどうしても記憶しづらい変わった性分なのでアレなのだが、多分希美はみぞれをほとんど気に留めずに通り過ぎていく筈だ。にも関わらず、羽根を見つけたら突然話しかけ、拾って彼女にわたしてやるのである。そして、妙に演技じみた話しかけ方をするのである。

(このあたり事実誤認と言うか書き忘れがあったので修正)

僕はこれを観た時「あ、やっぱりそうなんだ」と思った。そう、というのは希美にとってみぞれは負担なんだ、ということである。どうしようもない友人なので、そういう友人に対する特殊な距離感を取っている、という具合である。距離感を詰めなきゃいけないんだけど、実はあまり積極的にしたくない、みたいな揺れ動きだ。

どうして「そう」捉えていたかは、テレビシリーズから追うとわかりやすい。好きではないので放送時一度しか観ていないから、何か間違っているかもしれないけど、だいたいこういう話だ。

傘木希美という子が中学の吹奏楽部に所属していて、フルートを担当している。中学は吹奏楽のそれなりの強豪校で、フルートも親に買ってもらった。鎧塚みぞれという子を誘い込み、その子はオーボエを担当して、友達になった。ところが中学最後の大会で不本意な結果に終わり、高校でのリターンマッチを企図して、先輩方も多く進学している北宇治高校に入った。みぞれもくっついてきた。

ところが、その北宇治高校では、三年生がやる気がなくて、部活が成り立っていなかった。それに腹を立てた希美は退部を選択する。しかし、次の年はまともな顧問がついて、部がきちんと活動しはじめた。そこで希美は復帰を決断する。

ここまでは多分皆の見立てとあっていると思うが、僕はその先の話をこう捉えている。希美は自分が復帰するときに、自分が「虫が良い」と思われることが怖かった。復帰した北宇治高校吹奏楽部の面々が快く迎えてくれるかどうかは微妙である。去年の実績からしたら、北宇治吹奏楽部の女というのはやりはじめたら極めて陰湿だとわかっている。そこで希美は部長以上に人望があるあすかを味方につけることを画策した。ところがそのあすかは、私の許可なんかいらないと言い、しかし反対であるといい続けた。

その後は希美にとっては悪夢のような展開だったろう。虫が良すぎると陰口を叩かれるどころか、ソロ担当者のメンタルケアつまり部活の成功に関わる問題を背負わされたのだ。自分が嫌だから出て行くときに、そのプライドに付き合わせるのは悪いと思ってみぞれに黙ってやめたのに。嫌な先輩もいないし、困ってないし、みぞれは好きにやってればいいじゃん。相談したってみぞれが事態の打破に役に立つことは期待できないのだから、むしろ黙って辞めるのがベストの選択肢だったはずだ。

地獄の展開は続く。みぞれは自分に依存することでその能力を発揮し、部は全国大会に進んだのである。つまり、部の目標達成は自分がいかにみぞれのご機嫌をとるかということにかかっているという状態が事実上成立したのである。さらに、その状態を皆が是としたのだ。次期部長格の優子はその状況に追い込んだ張本人である。もはやあすかという存在がいなくなっても、中学の時成し得なかった最後の戦いで勝利を収めるという自らの目標を達成するには、みぞれのご機嫌をどうとるかが至上命題になったのだ。

それでもまだ希美が水を運ぶことを得意とし、好む存在であれば問題は小さかった。ところが、傘木希美は自らもフルートの名手であり、まわりからもみぞれと共に木管のダブルエースとして認められていたのである。

ワールドカップで得点王に輝いたにもかかわらず、バルサではリオネル・滅私メッシ奉公を強いられることになったダビド・ビジャのような立場に希美は立たされた。そしてその苦境を理解する人間は誰もいない。さらに輪をかけてひどいのは、このみぞれという友人がほとんど意思表示をしない、察してちゃんのオリンピックでメダル争いに絡めるような存在なのである。授業に参加しないことが先生からも事実上許されるようなお姫様なのである。

やってらんねー。

しかし傘木希美はとてつもない大きさの度量の持ち主であり、人気者になれる人格者だった。だから、校内のほぼ全ての場面において明るくて優しくてフルートの名手の人気者であり、親友のみぞれと仲良く一緒にいる、という存在を演じ続けたのである。しかしそれが偽りの関係であると映画は最初のシーンで描いてしまった。そしてその微妙なズレが大きくなり、崩壊していく様を描いていく。

この状態の描写の成功に強く寄与したのが種崎氏と東山氏を始めとする声優陣と高い演技力だ。種崎氏が生っぽい落ち着いた演技をし、脇を固める声優陣も高い技量で同質の演技をするので、東山氏の「人気者を演じているのではないかと疑いを持てるような微妙な演技」が際立ったのだ。偽りの人気者希美の驚きと、本当の高校生希美の驚きを微かだが明確に差異をつけて描く演技を、はっきりさせたのだ。

また、音響もいい作用をしている。最初の構内を歩くシーンでは、足音がまるでハイヒールを履いているかのような硬質な音だ。一方「パート練行ってくる」と駆けていくとき、その音は上履きの音だ。希美にとってはみぞれといることが極限の緊張感で、パート練にいくときは救われているのだ。

もちろん、フルートを吹きはじめたときの最初の音色はその前の東山さんのリップ音と合わせてものすごくいいけれど、ここでは関係ない。しかしなぜサントラに入っていないのか理解に苦しむ。出してくれNao,Lip,Breath。

さて、この後希美は様々な形でみぞれとの距離感を測ったり、広げることを画策する。自分が後輩たちとファミレスに行くことを伝え、やんわりと君もパートの子と仲良くしなさいとかやってみる。ところが全然うまくいかない。離し過ぎて調子を落とされても困るからプールに誘ってみると、他の子も連れていきたいと言い出すからちょっと安心する。

そんな中みぞれが音大行きのパンフレットを持っていたので希美は言ってみたのだ。私音大行こうかなあと。これは希美にとっては期待だった。あのみぞれが自ら音大行きを考えはじめたのだから、回答は最低でも「希美も受けるの?嬉しい」だと思っていたのだ。しかし現実は残酷で「希美が受けるなら私も受ける」だったのである。

練習中、希美はもっとみぞれの声を聞け、手を差し伸べてやれとも言われてしまう。もう八方塞がりどころの騒ぎではない。制空権も奪われ、立っているのは汚染土の地雷原。詰んでいる。

この絶望ばかりの状況で、希美が明確にリラックスして話すシーンがある。それが夏紀との教室での会話だ。いつも背筋を伸ばして相手をまっすぐみて明るくハキハキ喋る希美が、このときは背中から力を抜いてしなだれながら話すのだ。この時点で夏紀は「ダブルエース」と言ってしまう。しかしそれに対する希美の反応を見て、夏紀は事態のマズさに気づいていく。

一方優子は部長であり、部活の表面の取り仕切りで処理能力を使い尽くしており、全然希美の状況に思い至らない。夏紀もマズいとはわかっているけれど打開策がないので状況を強いることになってしまう。そこで希美は麗奈と久美子の戯れを見て思う。

なぜ自分達はあんな関係になれなかったのかーー

もう勝手にしやがれ。吹っ切れた希美は自分は普通大学に行くと言いだし、みぞれにも言ってないという。ところが優子は部長職に精一杯なので、表面的な友情しか見ていない。彼女の批判に事態を察した夏紀は、なんとかクッション役になることを試みる。

「でも今は」とみぞれと希美の声がユニゾンする。そして「たくさんの鳥」が飛び立つ。二人の間に残されていたお互いの確かなものだった音楽における認識も、決定的にズレたのだ。解釈が発散してしまったから、たくさんの鳥がはばたく。

今まで青と緑、黄色、と僅かなオレンジ、そして明度の高い明るい色で彩られていた世界が、紫色に深く染まる。丘で希美は一人佇んでいる。夏の風が吹く場所で。どうして世界はこんなに美しいのに、自分は、と。

僕はこのカットが一番好きだ。鮮やかな色彩が今まで積み重ねてきた絵によってさらに際立っている。ここまでの絵作りが報われるシーンだ。希美の心象がよく描かれている。ポスタにしてほしいと思っている。

練習においてみぞれは言い出す。第三楽章を通してやりたい、と。その演奏を聞いて希美は悟ったのだ。「自分のことを考えずに自由にみぞれはやるようになった、もう大丈夫だ」と。涙が流れたのは、これで開放されるという喜びもあるだろうし、それでも今までの努力を誰も認めてくれないのだという絶望もあるだろう。一言では言い表せない涙がそこにある。

このシーンでキャラクタデザインの変更が効いてくる。TV版のデザインだと、どうしてもみぞれがオーボエを吹いていると「おもしろい顔」になってしまうのだ。しかしここでおもしろい顔になってしまっては困るのだ。その理由はこのあとわかる。

皆がみぞれの周りに集まり、希美はああ、こうして捨てられていくのだな、と気づく。誰よりも部活のために自分を殺して来たのに。

それから、彼女は生物学室で一人佇んでいる。そっとしておいてほしかったところにみぞれがやってきてしまう。

そしてみぞれは彼女に抱きついて言うのだ。これで終わったと思うなよ、と。永遠に閉じ込めてやる、と。二人の間の絆は文字通り絆、家畜を拘束し逃げることを防止する道具だったのだ。この作用のためには絶対に「オーボエ吹いてるおもしろい顔のみぞれ」ではこまるのだ。愛した人を呪い殺す幽霊の表情である必要がある。

死んでいく希美の目。最後に「みぞれのオーボエが好き」と言ったのは、それでもその演奏だけは好きだったからだ。

なぜ自分が吹奏楽部に誘ったときのことを覚えていないと嘘を言うのか。決まっている。「あんなこと言ったばっかりにとんでもないことになってしまった」からだ。そして、そう思っているからだ。だってみぞれのオーボエはそれでも好きなんだもの。嫌なことだから忘れたことにしたいのである。

人間ってそういうものではないですか?あいつは好きとかそんな簡単なもんじゃないですよ。ああいうところはこうしたいけどでもまあがまんしてこれさえとれればいいやとおもっていたけどそれにもしっぱいしてあれなんでわたしそもそもこんなことしちゃったんだろうああでもそれかんがたらいやなやつだなでもじぶんがいやなやつかどうかよりじぶんがしあわせかどうかではみたいな感じできれいに切り分けづらいものではないですか?そういう実在感がこの映画の傘木希美というキャラクタには存分にあって、そこをしっかり描いているから、良い映画だと思っているわけです。

煉獄の中で希美は生きていく。青い鳥はカッコウだったのだ。落とされた自分は問題集を解いて今後の人生を生きて、なんとか這い上がってコンクールに間に合わせるしかない。でもまあそんなことだから、多分北宇治は今年のコンクールでろくな成果を出せないであろう。最後の最後で守りたかった願いも潰えた。その最後の表情が見えないのも簡単だ。そんなもん観客見たかねえよ。

って言う風に僕は初見で見ていたので「確かにこりゃ絶望だし泣くわ」と思ったのである。これホラーだよ。だから山本寛監督が「三途の川を渡った」「厭世観」とか言った理由もなんとなくわかったのである。

ほらねー?良かったところなんか書かないほうがよかったでしょう?ただ、そうすると前回僕が批判したところもよりなんで批判したか伝わるかも。

聲の形の感想も大分書けてきたからそろそろ上げるし、またなんか思いついたらTwitterにも書くので、よろしくお願いします。

リズと青い鳥 感想

追記:リズと青い鳥 良かったところの感想も読んでね。

見に行ってよかったと思っている。ユーフォの新作映画が発表されると知ったとき、この作品に対する期待は「テレビでやったら見よう」だった。テレビシリーズ全体を通して一位二位を争うどうでもいいエピソードのみぞれと希美の話であり、山田尚子監督作品である。これだけで「あ、俺はもういいや」となってしまった。

それでも、先日聲の形を見て「なぜ劇場に行かなかった?」と思った。ものすごく良い出来で(感想は別に書く)、山田尚子監督を見直した。ただ、みぞれと希美の話ということだから、積極的に行きたいともまだ思えなかった。

そこで「聲の形の分のお布施」と自分に納得させて前売りを買い、昨晩、観てきた。

良いか、悪いかで言ったら、明確に良い。聲の形以外の僕が観てきた他の京アニの映画に比べることはできない良さがある。ただ、聲の形やユーフォをはじめとする京アニのテレビシリーズの傑作や傑作回に比べたら、明らかに落ちる点がある。

その落ち度の最も大きなものが、演奏シーンの後だ。

クライマックスの演奏シーンは見事なものである。響け!ユーフォニアムというアニメを音楽アニメにおいて抜群の出来にした大きな要素の一翼はリズと青い鳥にも確実にある。

ところが、その演奏シーンの後に、登場人物たちがいかにその演奏が素晴らしいものであったかを口にし始めるのだ。これでは、オーケストラのアニメやヴァイオリン少女アニメと一緒だ。僕がユーフォ2のときに「コンクールブラボー」と断じた演出手法に退化してしまったのだ。

演奏の輝きはテレビシリーズと変わらない良さなのに、その後で崩れてしまった。せっかく今まで少女の指先の儚さや、リノリウムを叩く上履きの音、ふわりと広がるスカートが風をはらむ動きで詩的に綴られてきた映画のリズム、夏の切ない時間を断じてしまった。

これがもし、そういう描写ができない演出家や、実現できないアニメータによって作られた作品なら許容できる。けれども、山田尚子監督と京都アニメーションはそうではない。入須冬実言うところの「技術のある者」なのだ。本当に僕は「◯◯◯(呼び捨て)!なぜ君は自分を信じない!?」と言いたくなった。

この他にもこの作品には脚本上の落ち度が気になる点がある。例えば、ハグがそうだ。なぜ朝みぞれにあってもほとんど無視に近い状態で自分の人生を歩いていく希美が滔々とその由来や経緯を説明するのか、僕には理解できなかった。その説明台詞の不自然さが先ほども述べたこの映画の絹のような感触の中で棘のような違和感として際立った。優子にやらせて、夏紀に「まだそんなことやってんの?中学生みたいぷぷぷ」とでも言わせておけば良いのに、違和感バリバリの台詞が出てきてしまった。

新山先生が曲の解釈について話し始めるシーンも突然すぎる。そもそも何を考えているかわからない、意思表示の極端に少ない、ロボットのような演奏をしていた子になぜあのようなポエムの世界をいきなり語り始めるのか。楽譜をトレースするだけになっていた子に対してアプローチするやり方としては先生なのにあまりに間を端折り過ぎではないだろうか。

また、童話パートの必要性も感じられなかった。お話の肝、ドラマの部分は使い古された古典的なものなので、特に驚くべき展開があるわけではない。そこに繰り返すが、映画が織ってきた空気を分断して別世界を描く価値があったとは到底思えない。鳥籠から鳥を放つ切なさと愛は高いところから眺める紫の夕暮れと、なびくスカートで描けている。

そして最後の最後で山田尚子監督は「また」やってくれた。映画の中でつないできた静かな音たちと、そこに見参した「本気の音」という構図があり、エンドクレジッツではその終わりを静かにまとめていた。なのに、唐突に今までの音の質感と乖離した音楽が流れ始めて映画の余韻を破壊してしまったのだ。

山田監督はたまこラブストーリーのときもこれをやっている。監督は「こいのうた」の映画にしたかったのか「プリンシプル」の映画にしたかったのかさっぱりわからない。それをまたやらかして、終わりを居心地の悪いものにした。

こうして書いていると、豊住はリズと青い鳥に否定的なのかと思われるかもしれない。けれどもそれは誤解だ。最初に書いたように、高く評価している。もう一度劇場に行こうと思う。そこに嘘偽りはない。いい映画だった。薦められるかと訊かれたら人を選ぶが薦めるだろう。自作の参考にもしたいと思う。心から尊敬できる作品だし、「山田尚子監督作品は大嫌い」という看板を下すことにしようと思う。

しかし、良さを作り出す技術があり、実際にやる能力があるのに、それを些細なことで傷つけてしまったことに対して僕は批判している。

もちろん、僕の価値観であり、普遍的なものではなく、間違っているとは言わない。これは評論でも解説でもない。

だが、僕がリズと青い鳥という映画を観て「感」じて「想」ったことを書くのなら、このあたりを覆い隠すことはできない、ということだ。

僕のTwitterアカウントでまた何か思いついたら書くから、未フォローの方はよかったらどうぞ。

あと、他にもこのブログには感想エントリィがいくつかあるので、よかったら観てやってください。聲の形の感想は近いうちに書く。

リズと青い鳥 良かったところの感想も読んでね。

春の新作祭り閉幕と今後、それから最近

f:id:TOYOZUMIKouichi:20180415020104j:plain いろいろな事情があって、春の新作祭りになってしまったのでこちらにまとめておく。それから、今後について書いておきたい。

春の新作祭り

陸の奥 -HEART OF AKITSUSHIMA-


陸の奥 -HEART OF AKITSUSHIMA-

前々回の記事でも書いたが、昨年の夏と今年始めに青森にいった時の映像でちょっとした作品を作った。こちらの作品は、昨夏頒布した写真集「五年と九回の写真から。」と相互補完する関係になっている。TwitterのRTはあまり伸びていないし、Youtubeの再生数もあまり伸びていない。しかし、Facebookでは友人たちが大変気に入ってくれて、シェアもたくさんしてくれた。作った甲斐があったと思っている。

何人かが気づいてくれたが、単なる旅行ヴィデオの編集ではない、と言ってみたい。一応、お話を描いたつもりである。ただ、それを文章に起こしたり、論理的な流れを説明しろと言われると、ない。そういうお話を描いてみたかったのだ。映像だけにできるおはなしである。

もちろん、是非これを見て青森に行ってみたいと思ってくれたら、うれしい。実際にそう言ってくれた人も何人かいて、とてもうれしく思っている。

MANN: SYSTEM


MANN : SYSTEM -マン・システム-

第11回全国自主怪獣映画選手権<東京総合大会>でお披露目した最新作である。何度も書いているが、絵は非常に拙い。

だが、いろいろな仕掛けを注ぎ込んだ。是非いろいろ考えてくれたらな、と思っている。

ほか、詳細は前の記事を読んでほしい。

明石二種第一学校蹴球戦記II

こちら四月一日から連載を開始した。

昨年発表した拙作、明石二種第一学校蹴球戦記の続編を書いている。毎日3000字ぐらいずつ投稿している。

前作についてはこちらの記事こちらの記事も参照してほしい。

そもそもは全26話の話なのだが、此度のセカンドシーズンでは第24話までをやる予定だ。元々映像として作りたくて温めてきたもので、どうしても第25話と第26話は映像で見せたい。なので、それを諦めるか、実現する日までは出さないつもりだ。全体の構成はできている。

前作は思いの外好評いただいた一方で、文章の拙さが足を引っ張った印象がある。そこで二点の改善を行った。

第一に文章量を増やした。「三倍書け」というアドヴァイスを頂いたので、第十四話を書いたら四倍になってしまった。ので、他の話もすべて四倍にしてみることにした。

第二に一文の長さを短くした。前作の読みづらい文章をなんとか改善しなければと思っていたところ、沢木耕太郎の「一号線を北上せよ」に「ジャブのような文章」という表現があった。これを真似したのである。修飾したいときは文をバラす、ジャブのように短い文章を重ねる。そんな内容だったので、これを試している。厳密に守っているわけではないが、読みやすさに寄与していればと思う。

一方で、前作のように全話が仕上がってから分割して投入しているのではない。かなりギリギリのラインで書いている。今日に至っては投稿時刻2分前に仕上がった。これの弊害として、全体を見て構成を慣らしたり調整する作業ができなくなった。前は書きづらい話をあとに回して、書きやすいところを先に書いた。そこで足りなかったところを他の話で補強する、という全体を見るやりかたで書けた。だから、構成の部分で弱くなっているかもしれない。ご容赦いただきたい。まあ、もし紙媒体や電子書籍にすることがあれば、直して行きたいところだ。

裸足で私服の艦娘たち

下のpixiv埋め込みが機能してないときは、直接僕のマイページに行ってください。

懲りずに磯風 by 豊住耕一 on pixiv

かもかも by 豊住耕一 on pixiv

榛名 by 豊住耕一 on pixiv

おまけにいまのところ爪先立ちばっかりである。

絵の描き方について、一つの方式を作れたと考えている。よりブラッシュアップしていきたいし、速度もあげたい。もちろん夏コミでイラスト集を作りたいな、みたいな野望があってやっているので、生暖かい目で見守ってくれると嬉しい。

今後について

旅行記

昨冬のコミケで落とした旅行本が一冊あり、あのあとも既に大きな旅行に二回行った。今後も行く予定がある。これらは夏コミで是非まとめて出したいと思っている。このうちの一作品はこの本を手に入れたいと思ってもらえるようなものにして、このブログに記したいと考えている。小さな旅行にも行っているから、その話もいれたいところだ。

新作映画その1

自主怪獣映画選手権で宣言したとおり、MANN: SYSTEMの第三十八話「禁じられた薬」を実際に制作する予定だ。既に活動を開始している。

自主怪獣映画選手権で勝てるとは思わないが、目標にしている。やはり、プロ予備軍みたいな人たちと渡り合うには僕はあまりにも技術がなさすぎる。もちろん、演出やお話の技術は負けないので、そこはしっかり作っていきたいと考えている。

構想通りなら、非常におもしろいものができあがる筈だ。

新作映画その2

超短編も作りたいと考えていて、構想はすでにできている。なんとか作業時間を見つけて作りたい。

イラストなど

艦娘ばっかり描いているが、アルトリアも描きたい。それから、もちろん小説を読みたくなるような明石二種の連中の絵も描きたいと思っている。それから、背景の技倆も上げていきたい。

技術系の評価記事など

二本ほど用意しつつあるので、こちらも出していきたいと考えている。一つは3D CGIについて、一つは撮影についてのものだ。期待していただきたい。

MANN: SYSTEMパイロットフィルムの後始末

毎回作っているアレとアレを用意する予定だ。こちらは早めに出そうと努力しているので、出てきたら見ていただければと思う。

最近について

いろいろな作品を作ったし、これからも作る予定だ。それらにおいて一番大きく作用したのは僕自信が作りたい、作ったものを見せびらかしたいという気持ちだ。けれども、最近は「期待されているから」というのがある。昔は友人や先生方そして家族が「豊住がやっているのだから」という期待だったが。最近は作品によって期待してもらっている。

映画も、小説も、イラストも、旅行記も、すべて誰か一人は必ず期待してくれている。だからやっている。大変ありがたいことで、一方でこれは本当にお望みのものなのだろうかと不安になる時がある。それをどう扱っていくかは今後の課題だが、今は非常に喜んでいる。応えたいと思っているし、応えられることはもっと嬉しい。

第11回全国自主怪獣映画選手権東京総合大会

僕も自作を引っさげて参戦したので、全作品の感想のようなものを書いていきたい。なぜ「ようなもの」かというと、 あまり批判的なことを書いていないからである。本当の感想ではない。当然ながら自作は無得点(たぶん)の無冠だったので、他の監督の作品を批判して「意趣返しを試みている」とか「器の小さい男だ」とか思われるのも癪だから、良いことしか基本的には書かない。実に器の小さい男である。

だから、心の底からの感想ではない。誤解なきよう。あと、ネタバレが若干ある。

当然、諸監督が読みに来ることを計算に入れてそこかしこに自作へのリンクを入れ少しでも見させるという姑息極まりない設計になっているのでご了承頂きたい。それぐらいの姑息さなくしてド素人の30のオッサンが怪獣映画を作り続けられる筈がないのである。

はたらけ!ビビッドマン!

ビビッドマン製作委員会が送るシリーズの最新作である。ビビッドマンブレイヴの予告編は米子で見ていたが、本編は初めてである。

そうそう、僕が米子大会にしか出現しないので、関西の人間だとここでも思われていたようだ。

さて、作品だが、いきなり70年代風アニメが始まり、そのレベルの高さに驚いた。さすが美大である。黒澤明七人の侍を撮る時「カツカレーの上にハンバーグを乗せて卵でとじたような豪華な映画」と言ったそうだが、特撮というカレーライスにカツというアニメを乗せた、カツカレーのような作品である。

見事なミニチュアワーク、楽しいストーリィ、受賞も納得だ。

スタッフも大変気のいい学生たちで、懇親会ではおっさんの演説に付き合ってくれた。

2014ゴジラなアクア様(意味深)。

わたしが怪獣になっても

可愛くてスタイルのいい女の子を主演に据えるという、大罪を犯した作品。まあ、去年の僕の「」の方がそういう意味では罪が深いが(異論は認めない)。

Youtubeで公開することを狙って短く楽しい作品に仕上げている。かなり笑わせてもらった。楽しかった。Youtubeはよ。

テレスドンを狙ったが大分デットンに(意味深)。

黄昏せまれば

過去参加した自主怪獣映画選手権の二大会における、僕の唯一のアドバンテージだった「CGI芸人」というポジションを完膚なきまでに叩きのめした強力な作品。品質の高すぎる映像で、僕は存在意義を失った。もう立ち直れない。もう演出能力だけでやっていくしかない。

町内英雄列伝 ザハトラX

今大会には音楽担当の夏海をお供に連れて行ったのだが、実は不安なことがあった。相当怪獣好きで心の広い人間でないと、苦痛なレベルの作品というのが自主怪獣映画選手権には出てくる。だから、つまらない思いをするだけではないか、と思ったのだ。

このザハトラXはそんな不安を吹き飛ばしてくれる、快作である。とにかくテンポが良く、わかりやすいストーリィとキレのいいアクションに見栄えのする絵作りとあらゆる面でレベルの高い一作である。おもしろかったし、手放しで他人に勧められる。

大怪獣ライナス

高校の卒業制作で作った作品とのことである(うろ覚え)。この作品の見所は、メインヒロインである。気の強そうな、めっちゃ強そうな、イイ感じの美人女子高生がメインヒロインをやっている。女刑事である。最高である。

おまけにレオナルドナントカとか言うドイツ人も出てくる。確かドイツ人だった。この人も大変イイ感じである。残りの二人も個性的な役者だったが、とにかく女の子と外国人が強烈で印象的であった。お話も一生懸命考えて、作りきった感じがして良い。いい人間を揃えて作品を仕上げられる、これだけで高校生としては特別な力を持っていることがわかる。すごい。

ドクロ太郎

昭和みたいな歌に乗せて、昭和みたいなソフビがバトルを繰り広げる作品である。なかなかノリが良く、楽しめた。やはり映画にはわかりやすい、歌いやすいメロディの歌が必要であると再認識させられた。ググれば出てくるので見てみると良い。エレガブ監督のドクロ太郎である。

クリュティアの夢

ものすごく美しい制服姿の女の子が全編に登場する大変尊い、美しい作品である。美しさを追求した感がある。僕もやったことなので、良いと思う。やりたいことをやった、という印象がある。その美しさを今度はエンタテインメントの中に取り込んでほしいと思う。そう、僕らがガメラ3に感じたものを、作れる気がするのだ。

いつか、陽の当たるその時に

自主怪獣映画を撮る時に難しいのはキャラクタの配置である。大体怪獣映画なんか作ろうとするやつは、顔の長い痩せ型のメガネ、つまり僕よりマシな顔の集団になるので、キャラの判別がつかなくなるのである。この作品は「デフォルトフェイス」「強そうなジャーナリストのねーちゃん」「おとなしそうな朴訥な印象の女の子」「強そうな軍人」と四人の特色あふれるキャラクタを並べられた、すごい作品である。これだけビジュアルでキャラがはっきりしたものを並べられるのも珍しい。必要なキャラを絞り込んで、上手く並べた感じがある。よくわかってる。

監督も大変気のいい学生で、懇親会ではおっさんの演説に付き合ってくれた。

ドラゴンザウラー バトルゾーン

映像ドラッグである。カーチャンにシン撃の大怪獣軍団見せたら中毒になってしまった。

無明長夜の首なしの怪獣

自主怪獣映画選手権で「上映時間30分」とあればそれは「地獄の始まり」の可能性がある。当人たちは一生懸命作っているし、絶対に必要なシーンだけで構成されているのかもしれないが、見ている観客にとっては苦痛極まりない作品というのが、残念ながらある。僕はそれを避けるために作品をとにかく短くしている。最初は15秒しかなくて、田口監督に「90秒にして」と言われた。そして今回1分50秒にしたら「単調で退屈」と酷評されたのである。そういうものなのである。30分とはかなり危険な香りがするのである。

が、始まってすぐ「おもしろい30分」である予感が漂い始めた。すべてのクオリティの基礎点が高い。役者の演技と絵作り、キャラクタや台詞の配置、そして特撮、すべてにおいて高いレベルにある。僕が見てきた過去三大会の中でも最もおもしろい作品であった。

MANN:SYSTEM

ワシの作品である。前の作品がダイヤモンド、後ろの作品がエメラルドで、間に公園で拾ってきた石が混じってしまったみたいなひどい配置である。なにか恨みでもあるのかと思った。泣きそうになった。一応書いておくと、短いのと長いのを交互に並べているそうである。

まあ、そのうち公開されるだろう。4月のうち、気合の入った作品を公開するのに最も相応しい日に公開する予定だ。ちょっと修正入れるけど。

そうそう、僕が一生懸命仕込んだ「上映版の特別な仕掛け」はまったく誰にも気付かれなかったようだ。泣いちゃう。

っていうか米子大会みたいないい加減な大会だと思ってたのに皆の作品レベル高いし、泣いちゃう。

田口監督の質問も米子と違ってすごい厳しいし、泣いちゃう。

豪炎巨神エルガイザー

いろいろすごいのだけれど、とにかく印象的なのがキャストである。こんなライダー顔、ヒーロー顔の役者がどこにいたんだと思うぐらい、ヒーロー顔の男を主人公に据え(しかも当然ながら演技が見事)、司令官顔の男を司令官に据え、ヒロインみたいなヒロインをヒロインに据えた作品である。ここに今回はじめてとは思えないミニチュアセットを並べ、見事な映像の質感とわかりやすくスジの通ったストーリィで固めた快作である。卒業制作に相応しい完成度である。

主人公を演じた小野氏は大変気のいい人物で、懇親会ではおっさんの演説に付き合ってくれた。

大怪獣ゲルノコギラス-ツクネトロン襲来-

爆竹である。とにかく爆竹である。爆竹。爆竹はいいぞ。あと、あの手この手を駆使して実相寺アングルで人数を多く見せかけようという努力の伝わる作品である。

JJ-4’対コウエンガ

自主映画で大切なこと、それはキャラがどんな人物なのか一発で理解させることである。葉加瀬と江良井、このネーミングセンスとそれにあった人物を配した配役、それでこの映画の成功は決まったようなものである。大事な基礎的なところを決して外さない、そういうことの積み重ねが、見やすさ、受け入れやすさ、しまいには「見てよかった感」へとつながっていくのだ。そしてそれを見事にやり遂げた作品である。

連続特撮ドラマシリーズ FUGA-フーガ- 第一話「秩序を呼ぶ者」

総計恐らく3時間近い作品を作り上げただけで賞賛に値するし、一話を見る限り、全体的に良く出来ているので更に賞賛されるべき作品である。進行管理が相当大変だったと思う。今大会一番かっこいいカットをこの作品のワンカットとしてもいいぐらい格好いいカットもある。続きが見たいが、見られるのだろうか。

監督も大変気のいい人物であった。監督は「ヒロインにはピンク系とイエロー系がある。それを分けて出すことが重要」と解説されていて「そういや俺もPathfinderの時遠藤と林はそうだったのかもしれないな」と思った。説明がわかりやすいことは、監督の必須能力である。

機械忍者

自主怪獣映画選手権の常連監督、黒川監督の最新作である。今までで一番おもしろかった。ものすごく進化していた。設定がすごく良くて、ストーリィも大変わかりやすく、よかった。ちょっと懐かしい色調の絵作りも好感が持てた。恐らく黒川監督のことだから、Youtubeで公開するだろう。見ると良い。

ああ、なんか自分の作品についていろいろ書こうかと思ったけど、ちょっとここまで書いて疲れてしまったので、またMANN:SYSTEM公開のときにでもしよう。

陸の奥とMANN: SYSTEM

「物語が始まる」2016年3月26日から2年たった今日、長年作りたかった青森を舞台とした小さな作品をリリースできたことは大変嬉しい。見てくれた方、またリツイートしたりシェアしてくれた方に感謝の気持ちを記すとともに、まだ未見の方にはご覧いただきたい。そして「青森に行きたい」と思ってくれたら、心から嬉しく思える。


陸の奥 -HEART OF AKITSUSHIMA-

さて、来たる4月1日に開催される自主怪獣映画野郎の頂上決戦、全国自主怪獣映画選手権東京総合大会にて僕が監督したFILMASSEMBLER制作の「MANN: SYSTEM」が上映される。

タイトルからするとまともな作品のようだが、1分50秒のパイロットフィルム、予告編物である。要はそれらしいシーンを繋げてカッコいい音楽のノリと勢いで作った作品である。まあ、まともな作品のパイロットフィルムではある。

自主怪獣映画選手権というのは大変厳しい大会である。玉石混交とはまさにこのこと、ということもできるが、実態はとても厳しい。確かに僕が投げつけるような岩石もあるが、本気の玉が大多数を占めているからだ。

人生を費やそうとしている大学生に本気で取り掛かられると片手間に作っている素人のおっさんは為すすべもない。エレキングに巻きつかれたミクラス状態である。完全に技術で勝ち目がない、それが自主怪獣映画選手権である。だから、おそらく今回も無得票の最下位で大会を終えるだろう。ほとんど確信に近い予感がある。

ただ、珍しく上映前にこんなエントリィを書いているので、実はちょっとだけ自信がある。繰り返すが映像は本当に稚拙である。こんな雑な絵を本気の作品で通したことはなかった、という水準の噴飯ものの映像が矢継ぎ早に繰り出される。しかし、予告編の目的である「本編への期待」というものをちょっとばかり、作れたのではないのか、と思うのだ。

自主怪獣映画選手権の作品要項はただ一つ、巨大怪獣が登場すること、である。そしてタイトルから僕が何をやろうとしているかは分かると思う。

特に力を注ぎ込んだのは、予告される作品の世界観を伝えることである。世界設定や雰囲気を伝えることも大事だが、より伝えたかったのは世界観だ。

作品が世界をどう捉えているのか、何を期待しているのか、何を諦めているのか、何を信じ、何を評価し、何のために進もうとするのか、観客に何を問うのか、それを2分未満の中に注ぎ込んだ。もちろん、容量には限度があるのでごく一部である。しかし、その成分の豊饒さを伝えられると思っている。

世界設定を伝えるのは簡単だ。文章にすればいいからだ。だから、往々にして世界観とは世界設定のことにされてしまう。けれども、僕は作品で本物の世界観を描きたい。だから、そのために持っている演出の道具や、さまざまな知識を投入した。その作用には自信がある。そこには一つの言葉にはし難いものの、明らかな世界が見えるはずだ。

世界観は映画の武器である。そして、僕はそこを操ることについてそれなりの自信を持っている。けれども、今まで映画でそれを描ける機会はPathfinderしかなかった。7年ぶりに映画の舞台で「MANN: SYSTEM 」という大作の世界観を描けた、そう思っている。だから、こんなエントリィを書いているのだ。

いつも書いているが、入巣先輩の言うとおり「技術のない者が情熱をいくら注ぎこんでも結果は知れたもの」だ。特撮の技術も、CGIの技術もない僕には情熱を注ぎ込んでも、何も残せない。怪獣映画を生業にすることを選んだ青年達の熱量と技術に僕が敵うはずがない。

だが、映画監督としての技術はある。そして僕は誤解を恐れながらも言うのなら「自分が世界最高の映画監督であると思ったことは一度もないが、ある種の付帯条件の下において自分以上の監督がいるとも思っていない」。もし、自分以上の監督がいることを認めるのなら、永久に僕は映画監督としやっていけはしないだろう。そして、それを認めないためのある種の技術を持っている。その技術はふんだんに注ぎ込んだ。そこでは負けるつもりがない。どんな評価になったとしてもそれは変わらないし、いつもそうだけれど、今回はかなり存分にふるったという感覚があるので、こうして書いている。だから、何を書きたいかというと、観てほしい、ということなのだ。

最後に記すが、当日とはいかないが近日中にウェブでも公開するので是非ご覧いただきたい。ただ、ウェブ公開版は上映版とは若干違う。上映版には「そもそも自主怪獣映画選手権に来るような人間にしかわからない仕掛け」を施してある。この仕掛けがウェブ公開版に入らない理由は伏せるが、気づいた人には「なるほど」と思ってもらえるはずだ。なお、仕掛けの詳細も今のところ僕から明かすつもりはない。だが、別にその部分を見なくてもなんの問題もない。

ウェブ公開版の方が、良い映像にはなるはずだ。修正したいので、するだろう。あと、何度も見られるし、一時停止もできる、という大きな利点がある。一時停止されると困る作り込みの荒さはもちろんあるが、一時停止して確認してもらいたい魂を宿した自信もある。

純粋な優しさに包まれた3ヶ月 - Just Because! 感想

もう30になるというのに、未だにクリスマスが近づくと「有楽町のドトールでココアを飲んでいると、白いコートに身を包んだ黒髪ロングストレートの美少女がやってきて「一時間なら待てなくて、一時間半なら待てるのね」と皮肉ってくれないだろうか」などと言っている。これは、とある小説のラストシーンなのだが、そういう「夢みたいな話」を「アニメの脚本」からとにかく削除しまくったような話、というのが「Just Because!」を端的に説明するやり方だと思う。

つまり、ひどい言い方をすれば、華がない。クリスマス回に雪は降らないし、女の子たちの私服は基本重武装で露出度が低い上に、絵のトーンも全体的に彩度が低い。それどころか、春から神戸に行く女の子に男の子が毎週会いに行くよ、と言っても「新幹線で往復3万、続くわけがない」と言い返すような話である。ちなみにEX早得21を使えば2万強で済む。僕はこの作品を見始めたとき、見ていなかったのだが方方で「似ている」と言われていた別の作品とはまったく態度が違う。主人公は文学で認められて出版社に呼び出されたりしないし、イタリアに行ってヴァイオリン職人になる、とか言い出さないし、幼いころの約束のアイテムもなく、当然お色気ハプニングもなければ、超金持ちも登場しない。金を持っていそうなキャラクタが出ても、黒服がメルセデスで送迎したりはしない。

そして、この「夢みたいな話」の削除は、最後の最後まで徹底している。卒業式の日「ホームランを打とう」と友達と対戦し、ホームランを打つ。だが、その後声をかけるべき彼女はすでに帰路についており、会うこともできない――。

この展開に「一体何の意味があるのか」と憤っている人がいた。おそらく「卒業式の日に告白して、幸せな結末を迎える”べき”」だとでも言いたかったのだろうと思う。多くのアニメはそうしてきたし、それは「お約束」であり、一番作り手にとっても見る側にとっても「安心できる」展開だったはずだ。では、僕らはその「安心できない」展開をどう受け取るべきなのか。この極めて禁欲的な展開、別の言い方をすれば極端なリアリズムに徹したアニメのお話をどう捉えていけば良いのか。

僕は、それを優しさと捉えればよい、と思っている。

好きな女の子とお互い同意の上で同じ大学を受験する、というのはなかなか素敵な話だ。もちろん、こっそり受けて見事合格し、大学で会える、というのも良いだろう。危険を犯したくないのなら、合格したところで告白し、うまくいきそうなら入学する、という作戦も取れる。当然、卒業式の日に告白して、その後の幸せな展開を約束したい、というのもそれほど珍しくない、高校生であったら夢見る展開の一つではある。何か願掛けをして、上手く行ったらそのまま告白になだれ込んでそこで大勝利、というのも一考だ。だが、それは、滅多なことでは実現しない。そんなことはわかっている、だからこそアニメでは、というのがおそらく批判の原理だ。

けれども、それは「僕ら」がその事態に直面していない、もしくはすでに過去のことだからだ。だがそれが「今」だったら、と思うと、その「夢みたいな展開」はとても恐ろしく思える。

卒業式を終えて、友達と一打席勝負する。そこまでは結構やりやすい。それからホームランを打つ、それもなんとかなるだろう。自分の腕次第だが、腕に覚えがあるならやっても良いし、その腕は努力でわりかし手に入りやすい。もちろんホームランでなくてもいい。そういう、自分が得意なもののうちの、特に素敵な出来事でいいわけだ。けれども、その後、好きな女の子に会って告白して色好い返事を勝ち取る、このステップにはそこまでとは正に格の違う難易度が存在する。その難易度の違いを「アニメの中では上手く行ったが、自分の人生はそうは行かないか」と卒業式の午後に思い知らされるのは、とてもつらいことだと思うのだ。

だが、アニメの中でそれが上手く行かず、大学に入ってから入学式でもない、しばらく経った「なんでもない一日」に彼女が声をかけてきてくれる、というのが「アニメという夢の世界での展開」でなら、その日に希望を持って生きることができるし、そうして生きている間に時間が恋心を解決してくれることや、新しい出会いが問題を問題でなくしてしまうことにも期待できる。「なんとなく」ほどかれていってくれるだろう。

メインヒロイン、夏目美緒は物語が始まった時、主人公泉瑛太を特に好きではない。他に好きな男の子がいる。しかし三ヶ月間の物語の間にその心は移ろって、主人公を「本気」で好きになる。この展開を見た時「ああ、この子はアニメファンに嫌われるだろうな」と思った。一人の相手をずっと好きでいる、ということがアニメにおける人間の「かくあるべき姿」とされている文化があるからだ。だが、その「かくあるべき」を現実に持ち込めば、殆どの場合地獄しかない。

ある人のフィールドワークによれば「非モテ」の多くに共通する特徴として「昔からずっと好きな運命の人が忘れられない」というものがあるそうだ。そしてその呪縛を解き放ち、気軽に誰かを好きになったり、付き合ったりすることで、恋愛はしやすくなり「モテない」という生きづらさから逃れ、生きやすくなっていくという。

「誰かを一途に好きでいつづける」こと、洗練されすぎた恋心が現実では地獄に直結するように、洗練されすぎた恋愛の展開を求めることも、また地獄に直結してしまうだろう。恋とは基本的にうまくいかないものなのだ。うまくいかないものをうまくいかないものとして描いてやり、その先にある小さな喜びを大事にしてやることは本当の優しさだ。その喜びとは、渡し損ねた手の込んだチョコレートを押し付けられたとき、ロマンスカークッキーを来月渡そうと相談してくれるような友人達が、黙って泣かせてやり干渉しないでいてくれるような清らかで健気な愛のことだ。

一方で洗練されていないお話の流れは、僕らに夢を見させてはくれないし、それを良しとしないという気持ちもわかる。

それでも、僕は「夢みたいな展開」を切り詰めたことが優しさだと思えたし、その優しさを作り出すために費やされたすべての労力の価値を高く買いたいと思う。静謐に描き出された映像美のことも書かないだけで強く感じたし、尊敬できる素晴らしさだった。パンタグラフの数は多すぎたが。

2017年最高のテレビアニメ作品であったと思っている。2013年の翠星のガルガンティア以来、放送終了直後に金を出そうと決意した作品となった。だから、僕は割引の効かない限定特典付きのBlu-ray Discを全巻予約したのだ。

ローグワン雑感

エピソード7を劇場で見て「ああ、もうこのシリーズはいいや」と思い、どんなに好評でも劇場ではスルーしていたのだが(他人の映画の評価なんか当てにならないからね)、WOWOWで放送されたのを見た。

エピソード4は別格、5や6が堅実、新三部作だと1が好きな僕だが、5や6に並び立つなかなかの作品で満足した。

何よりよかったのは、全員がベストを尽くしたということだ。ともかく新三部作以後、スターウォーズシリーズは手抜きによって辻褄を合わせて来た。

ヨーダ、フォースなんか使わなくてもアナキンが不満を持っていて心が千々に乱れていることは顔色を伺う幼稚園児でもわかるだろう。ほかのジェダイ評議会の連中も同様である。

オビ=ワン、死ぬだろう、じゃねえよ、フォースの潜在能力が極めて高くパルパティーンの愛弟子なんだからちゃんとトドメをさせ。パルパティーン、なぜ積年の恨みを晴らそうという時にヨーダにとどめを刺そうとしない。呑気なことやってんなよ。そもそもヴェイダーが「生命反応はありません」の一言で自分が作った気の毒なドロイドを見逃したからこのお話が始まっている、と言われればそれまでだが。

そもそもデス・スターの破壊自体が「なんでそんな弱点作ったんだ」と長年の謎というかツッコミどころだったわけだが、それを説明する話なので辻褄合わせには気合が入っている。ターキンもヴェイダーも全力を尽くしたし、K2SOも最後まで戦った。こういうのがみたかったのだ。

その全力を尽くしたヴェイダーだが、強い、怖いと言われて期待していたので、正直拍子抜けだった。殺すのがストームトルーパーと同じモブの雑魚キャラなんだもの。

本当に強さや怖さを出したいのなら、殺される側の反乱軍兵士の強さをちゃんと描き、その人格や人生を描かないとダメだ。例えば、データを送信してやったやったとジンとアンドーがやっているところにヴェイダーが現れて、余韻も感動もなく2人の首を瞬時にはね、その遺体はまるでストームトルーパーが死んだ時のようにあっさりと蹴散らされてしまう、これぐらいやらないとシスの暗黒卿の本当の恐怖は描けない。弱そうな奴らがどれだけ帝国の行進曲とともに斬り殺されても、それは映画の中では「とるに足らない死」でしかない。ヴェイダーがディスクを回収できないのはわかっているのだから。

音楽といえば、相変わらず残念であった。Duel of the Fates以来、素晴らしいスコア、というものがこのシリーズにはない。ローグワンと言えばこの曲だ、といえるメインテーマがない。

お話の上で一番残念だったのは主人公連中が命をかけて戦うべき戦いに見えなかったということだ。ルーク・スカイウォーカーは育ての親を惨殺され、綺麗なお姉ちゃん(妹だけどな!)に呼ばれたから行っちゃった、という「若者だし、パイロット志望だったし、目の前でこんなことになったら、行くよな!」みたいな話があった。特に帝国民がひどい暮らしをしている「描写」もないし、別に反乱なんか起こさなくてものんびりやっていけばいいんじゃね?という感じしかしない。むしろ人間は優遇されているはずである。これがカエル人間やサカナ人間が差別に耐えかねて反乱する、という映画なら、なるほど、となっただろう。最終作戦においても小娘が「実はこうなんです!」と言ったらみんなホイホイ付いて来やがって、ワトーみたいな一筋縄ではいかない連中がいてもいいと思うのだが。

この映画はスターウォーズシリーズの中でももっとも映像が美しいと感じている。ジェダを消し去った爆発や、シールドに跳ねるスターファイターの残骸、そしてなにより物理法則を完全に無視して翻るヴェイダーのケープ、船を見送る彼の無念のレイアウトは最高にカッコよかった(お気づきとは思うが、ヴェイダーは船の外にハッチを背にして立っているので、船からもれる空気は彼のケープを彼の身体に貼り付けるように風にあおられるはずだ)。

ただ、本当、ヴェイダー出てくるたびに思うのは胸元のパネル、あれもうリファインしてやってもいいんじゃないですかね……。おもちゃにしか見えん。まあ、それは帝国軍全般に言えるので。むしろ、キャストも一新して再びあの傑作エピソード4を作って欲しいと思う。タイトルはもちろん「シン・スターウォーズ新劇場版:四」である。

ジンはポンチョが可愛かったので最後までポンチョでいて欲しかったです。

あ、あと「七人の侍」と言われていたのだけれど、どこが七人の侍なんですか……?どちらかというと指輪物語では……。

コミケ宣伝です(そのためのエントリィだ)。このままだとイラスト本はなかったことになります。写真集はあるから来てね。

https://twitter.com/TOYOZUMIKouichi/status/944584340561735680