映画を撮ったり、写真を撮ったり。絵を描いたり、小説を書いたり。コードを書いたり、感想を書いたり。

@TOYOZUMIKouichi

日本代表はなぜ負けたのか、そして、次のワールドカップで勝つために我々に何ができるのか、など

はじめに

僕は、まだ応援しているチームの敗退が決定してから時間が経っていない状況下で心を整えられるような大人ではない。だからかなり荒っぽい文章になっていると思う。勘弁してもらいたいと思っている。

僕は勝利至上主義のフットボールファンである。世界最高のフットボール監督はジョゼ・モウリーニョだと思っているし、コミケでは「勝つことは、すべてだ」とか「勝利至上のフットボール」とか書かれたコピィ本を四冊売った。だから、「日本らしいサッカーを見せられた」とか「感動を与えてくれた」とか「世界を驚かせた」という弁を弄することはしない。

もし心からそう思っているのなら、今一度考えてほしい。ヴァイッド・ハリルホジッチサムライブルーの監督にならなかったら、いったいどれだけの日本人が「ブラジルワールドカップでのアルジェリア代表」という存在を思い出せただろう。あの試合でアルジェリア代表は王者ドイツを追い詰め、世界を驚かせたということになっている。だが申し訳ないが僕のようなニワカファンはまったく覚えていなかった。あの試合で記憶に残っているのはマヌエル・ノイアーの守備範囲だけである。こんなブログを読みに来る熱心なフットボールファンは覚えていて当然なのかもしれないが、大抵の人間は僕と同じように覚えていないだろう。

大会前「ロナウドはワールドカップを取れるのか」「メッシに最後の大きなタイトルを」みたいな言説がたくさん流れていた。どうしてそんなことを思えるのか、僕は不思議でしょうがなかった。確かにポルトガルはEURO 2016を獲得した。けれどもほとんどの試合を引き分けでしのぎきり、入った決勝トーナメントの山も強国がいなかったのだ。ブラジルワールドカップでアルゼンチンは確かに準優勝だ。だが、決勝トーナメントの山はどうだったか、そもそも南米でアドバンテージがあったことも覚えていない。そして今大会前実に悲惨な状態であったことも知らないし、そもそもシャビ・エルナンデスはアルゼンチン代表にいないのだ。大国に対してそれぐらいの認識なのだから、日本代表なんか明日の夜には忘れ去られるに決まっている。

だから「日本らしいサッカーを見せられた」「世界を驚かせた」とかということに僕は価値を感じない。せいぜいご贔屓のチームが負けた朝の通勤電車の慰めになる、という価値だけである。そして、そういう認識を常に持っているべきだと思う。

日本代表はなぜ負けたのか

端的になぜ負けたのかを説明することは簡単だ。木村和司監督の弁を借りるなら「下手」だったのである。

前半30分を超えたあたりから日本のオートマティズムは非常によく機能していた。パスワークで相手を翻弄するだけでなく、ゴールに迫る危険なプレィがいくつも見られた。そして良い形でハーフタイムに入り、明けてからは見事にゴールを奪い、さらにゴールを決めた。非常に良い状態で、あとはゲームを閉じれば勝てた。当然である。相手より多く点を決めたものが勝つスポーツで実際に決めたのだ。勝てないはずがない。

ところがゲームを閉じる術をベンチも選手も持っておらず、そもそも閉じるのかそれとももっと攻めるのかすらよくわからなくなってしまった。一点差に詰められても、落ち着きはなくどんどん事態は悪化の一途を辿った。

上手なチームならゲームをしっかりと閉じる。「これは僥倖だやったやった」と心の何処かに「これでもし負けたとしても胸を張って帰れる」という思いは誰もが胸の中に抱えてしまうものだけれど、そういうものをコントロールする術を持っている。だが、そういう技術がなかった。技術がないことを、下手と言うのである。

ゲームを閉じ切るために必要な手というのはいくつかあるが、まず一番大事なのは走れることだ。例えば、ルカクのような規格外フォワードに対抗するためにも走れなければいけない。だからフレッシュな選手を投入して火事場の馬鹿力を抑え込む必要がある。さらに、投入される選手は守備の意識が高く、その技術が秀でていなくてはならない。チェックを怠るようではダメで、不用意にファウルを与えてピンチを招くようではいけない。

安定して動いている選手は変えない方がいいから、疲れていてどちらかというと守備に貢献しない攻撃的な選手を交換すべきである。ところが、日本代表のベンチにはそういう選手がまったくいなかったのである。

例えば、一番交代しやすいのは大迫である。こちらのゴールから一番距離が遠く、チームは二点とっているわけだから仕事も終えている。しかし、ベンチにいるフォワードは誰か。明らかにコンディションに不安がある岡崎と、エゴイズム丸出しで周りを見ず自分がゴールを奪うことばかりに執着し、それがスイス戦パラグアイポーランド戦とまったく修正されなかった武藤である。交換不可能なのである。

フォワードがこのザマで、中盤も四年の時を超えて「遠藤頼み」が「柴崎頼み」に進化した。もちろん、香川も優れたメディアプンタだ。けれども、ピヴォーテ柴崎岳の覚醒無くして此度の戦いをこういう形で終えられたとはとても思えない。一方で、彼に疲れが現れ守備能力が低下し何度も危険なシーンが作られたのも事実だ。そういう時に、山口蛍しか交代のカードがなく、残念ながら点を取って納めたいシーンで山口は役者不足であった。

それは端的に言えば林舞輝FCポアヴィスタU-22コーチ言うところの「23人のメンバ構成に失敗した」ということであり、つまり西野朗監督の責任、「下手さ」である。もちろん、90分走りきれない身体しかなかった柴崎の下手さでもあり、攻撃において柴崎の代理になれるほどの力を持てなかった山口の下手さでもある。彼らだけでなく、日本代表全員の下手さが、ベルギー代表の「上手さ」の前に屈したのだ。

西野が下手さを露呈したのは、第一に準備期間が短すぎたためだ。メンバ選考にろくな時間がとれなかったことが作用していないとはとても言えないだろう。なぜメンバ選考にろくな時間が取れなかったかといえばもちろん、もはや手を付けるべきではない時期にヴァハを解任したからである。これはJFAの下手さだ。

だから、なぜ負けたのかを一言で言い表すのなら「下手だから」ということになる。

もちろん、名を挙げたどの選手も、西野監督も、日本で最高の選手と監督だ。世界的にも非常にレベルの高い、両手両足をフル稼働させればどこかの指に必ず入る選手だ。なぜなら彼らは「世界最高の16チーム」の一員なのだ。とてつもなく偉大な存在であり、賞賛されるべき存在だ。少なくともこんな無名のレベルの低いプログラマでクリエイタワナビーにブログで「すべてを」ディスられていい存在ではない。

僕はここ一ヶ月武藤選手を批判してきた。その理由は上に述べる通りである。そして僕の好きな宇佐美選手も同様に批判されても仕方がないと思う。ポーランド戦における二人の前線でのパフォーマンスはとてもワールドカップで戦えるというものではなかった。

けれども、武藤選手がああいうプレィをする理由もわからなくない。フォワードは点を取ってなんぼ、とよく言われるし、柳沢選手のことを思い出せば、あのシーンを見た少年が、まず自分で決めることを選択する大人になって当然だ。「決定力不足」と言われ続けた日本に生きる少年が「決定力ある存在になろう」と集中することを誰が「全」否定できるというのか。宇佐美選手はリベリになんと言われたのか。100%ないと思って初めてパスしろと言われたはずだ。世界最高のドリブラの教えを忠実に守ろうとすることを「全」否定することはできない。

ガンバ大阪を十年以上応援している僕が書くのである程度贔屓はあると思うが、西野朗は優れた監督である。その実績は日本で最も優れた監督であることを示している。FIFA主催の国際大会で初めて勝利を飾った日本人監督であり、Jリーグ史上最大の成績を誇る監督である。非常事態であってもチームを毎試合進化させ、16強に導いた手腕は称賛されて然るべきだ。スイス戦の日本代表には、パスを受ける動きというものがあまりに足りなかった。出しどころがなくなった本田圭佑が無理にパスを出したりあるいは下げざる得ないシーンが多く見られた。

コロンビア戦の序盤も、相手がパスを狩ろうとしているということを考慮しないようなプレィを見せていた。放たれるパスも、走っている仲間の放つ時点での位置を狙うといったズレたものが多かった。これでパスサッカーができるわけがない、と思わずにはいられないものだった。けれども、コロンビア戦の後半には、自らの背後からパスを狩ろうとする敵を背中で強く受け止めていた。セネガル戦での柴崎岳はボールを受ける前に首を振って受けてすぐ次のプレィに繋ぐことができていた。ベルギー相手に見せたパスワークはわずか一ヶ月でここまで進化できるのかと思えるものだった。

僅かな期間でチームを進化させる一方で、「戦わないことが罪ならば俺が背負ってやる」と言わんばかりの采配で見事当面の目標であった16強に達したこの監督の手腕には大きな尊敬の念を抱いている。

川島永嗣は確かに今大会においていくつかのミスを犯した。今回に限らず、キャリア全体においてもミスの少ないGKとはとても言えないだろう。けれども、その実力と実績は偉大なものである。ベルギー最初のゴールはペップ・グアルディオラが「キーパを8人並べても止められない」と言った08-09シーズンのジュニーニョ・ペルナンブカーノフリーキックと同じ性質のものだったし、残りのゴールも責められるものではない。

本田圭佑は実にひどいコンディションでスイス戦を演じた。それは事実だ。だが、2010年と2018年、二度のワールドカップでベスト16に上がれたのは誰の力に寄るものか。本田圭佑の力に寄るものである。伝説の選手たちの系譜に此度の大会で名を連ねたこの名手は、ゴールを獲得してきた。それがすべてだ。そして最後大きなミスを犯したかもしれないが、あの場面で枠内にFKを収めてきたのもこの男だ。

でも、ベルギーに勝ったわけではない。

僕は「コロンビア戦はラッキーで勝った」という言説にも「グループリーグを突破できたのは運が良かったから」みたいな言説にも与しない。日本代表が強かったから、優れていたからコロンビアに勝利し、セネガルと互角の戦いを演じ、最終的にグループリーグを突破したのだ。

同様に、ベルギーより日本が優れていないということを端的に表すのなら「下手」の二文字があるというだけの話である。

次のワールドカップで勝つために我々に何ができるのか

人は誰でも監督になれる。例えば「二点を入れた時点でバスを止めて守るべきだった」と言うことができる。「中島翔哉を入れていれば、フォワードの選択肢が増えたんだ」と言うこともできる。フットボールの前には誰もが監督になってしまうだろう。僕もその一人だ。

けれども、そう言った発言や、論評、外野の連中が行う「総括」に、僕は日本代表を強くする作用があるとは思わない。よく「日本代表は行き当たりばったりで大会ごとの総括がない」と言うような意見を言う人がいる。これが、JFAの内部の人間が言うのだったら、理解できる。けれども、実際には例えばブラジルワールドカップでも技術委員会による総括が行われている。実際はあるし、外野の人間がどうこう言うことではない。したところで、日本代表の強化につながるとは僕は思わない。

ではどうすべきなのか。

西野朗といえばマイアミの奇跡の印象が世間一般では強いようだが、僕はやはり10年前のFIFAクラブワールドカップ準決勝、ガンバ大阪マンチェスター・ユナイテッドの試合を思い出す。3-5の打ち合い大バトルは当然のようにCR7擁するマンチェスター・ユナイテッドが勝利したが、遠藤保仁をピヴォーテに置いてゲームの支配を図り、サー・アレックス・ファーガソンをナーヴァスにさせたこの試合はやはり特筆すべき試合だと思う。また、前年には同じ舞台で浦和レッズACミランという勝負があったので「日本の守備」の前年「日本の攻撃」の今年という印象もあった。

だが、これはFIFAクラブワールドカップにおける日本勢の最高の試合ではない。最高の試合とは、レアル・マドリード鹿島アントラーズのことを指すのである。

この試合は実に奇妙な試合だった。何が奇妙だったかと言うと、結局最後力負けしたもののJリーグレアル・マドリードが迷い込んだような試合だったのだ。そうとしか表現しようがない。鹿島はいつものようにプレィした。確かにポゼッションはなかったし、シュートの数も少なかったが、それでも「鹿島」だった。そしてレアル・マドリードは2-2でゲームを終える羽目になっている。リーグ戦なら、引き分けで済んでしまったのだ。90分で負けた前の2つの試合とは話が違うのだ。

この時ピッチで輝いたのが、柴崎岳であり、昌子源だ。そしてこの試合には参戦していないが、大迫勇也もまた鹿島アントラーズの出身である。ロシアワールドカップの日本代表の中心には、実に三人の鹿島アントラーズの選手がいたのだ。

セレッソ大阪の熱心なファンである貴方が言いたいことはわかっている。乾も香川もセレッソの選手だ。素晴らしいセレッソの選手だ。原口と長谷部は浦和レッズの、本田圭佑吉田麻也名古屋グランパスの選手だ。

日本代表が初めてワールドカップでベスト16に進んだ時の監督はフィリップ・トルシエだが、この監督はアーセン・ヴェンゲルの紹介によって来日した。ヴェンゲルと日本のパイプがあったのは、当然名古屋グランパスの監督だったからである。名古屋グランパスのスポンサは誰か、トヨタ自動車だ。セレッソはもちろんヤンマーのチームである。話を端折れば天気予報をやってたから……じゃなかった日本が稲作の国だったから、セネガルの人々もベルギーの選手も「イヌイってやつの仕業」と今も思っているのだ。アントラーズはそもそも住友金属というとてつもない企業のチームであった。浦和レッズ三菱自動車のチームである。

西野朗は日立によって育ち、松下によってその名声を得た。自転車に明かりをつけたり二股ソケットを開発したら、なんとマンチェスター・ユナイテッドとタコ殴りの大バトルを演じることになり、ワールドカップで8強に十数分届いていたのである。

そして今も日本代表に大きな影響を与えている「サッカーの日本化」を掲げた男、イヴィツァ・オシムジェフユナイテッド市原・千葉の監督である。古河電工国鉄の力で、サッカーの日本化は始まったのだ。

日本代表を強くしているのは、日本そのものなのだ。

だから、日本代表を強くするために、我々はまずどんな形でも前向きに進むべきなのだ。そうすれば、必ず結果がやってくる。諦めず、最後まで、この国を見捨てずにやるべきだ。

前向きを説明することは難しいが、後ろ向きを説明することは簡単だ。他学年に自転車の二人乗りをして生活指導にしょっぴかれた生徒がいると、クラス全員で徒党を組んでその生徒の在籍するクラスに乗り込んで退学させろと喚き散らすようなことが至高の娯楽になっているような状態を言うのである。

そして、前向きに生きて、それでも、もしよかったら、Jリーグが再開してテレビで中継をしているとき見れば良い。そうしたらちょっと日本代表は強くなる。それで、もっと日本代表を強くしたかったら、近くのスタジアムに足を運べば良い。ほぼすべての都道府県にJリーグに加盟しているか、加盟を目指しているチームがある。そこに行けば良い。

近くに良いスタジアムがないかもしれない。それなら、旅行に行ったときに言ってみるのもいいだろう。大洗に戦車を見に行ったのなら、鹿島に行こう。千葉の海に行ったのなら、蘇我で途中下車してフクダ電子アリーナに行こう。仙台で牛タンを喰って、ベアスタに行くのもいいだろう。東北や秋田、山形や上越、北海道や北陸(長野経由)に行ったのなら、大宮で下車して埼スタに行けばいいのだ。関西に旅行に行ったら、パナスタの素晴らしさを知ることができる。

スタジアムに入れば、日本代表は少し強くなる。いい座席にすれば、もっと日本代表は強くなるだろう。ビールを買えば、日本代表はまた少し強くなる。スタグルを買えば日本代表はもっと強くなるだろう。次は友達を誘ってくれば、その強さの上昇率は二倍になる。年に一回行くだけで、年に一回行った分だけ、日本代表は強くなるのだ。そしておそらくそれはハーススペースがどうの5レーン理論がどうの喋るよりもずっと日本代表の強化の役に立つ。人は誰でも監督になれるのだから、同様に人は誰でもスポンサになれる。

何を恥じるべきか

そうやってもっとたくさんの人がJリーグのサポータになれば、例えば不可解な監督人事があったとしても「特定の選手を出さなければならないとスポンサから圧力がかかったのだろう」などという恥知らずな意見の信憑性がより薄まる。

ああいうことを言われるのは、サムライブルーのサポータがナメられているからだ。サッカーなんか何もわからない、8年前の勝利の記憶だけで、そのときに出ていたネームバリューのある選手さえ出ていれば喜ぶ愚か者だと思われているからだ。誰もがどこかのJクラブのサポータであり、その勝利を願っているのなら、あんな世迷い言一蹴されただろう。

フットボールを本当に愛していて、本当にそういう理由でヴァハが解任されたと思っているのなら、まずはじめに自分たちが「特定の選手が起用されないと応援しないようなサポータしか育てられなかったこと」を恥じるべきだ。仲間を増やせなかったことを悔いるべきだ。誰かを職から引きずり下ろせと喚き散らす前に、フットボールの真のおもしろさ、その価値を伝えてこられなかった自分を問うべきだ。

あらゆる恐れを持たずに言うのなら、僕はコミケで4冊売った。コピィ本を一部1500円で。6000円分のフットボールのおもしろさを伝えてきた。

勝利至上主義

時々、勝利至上主義は寂しいという人がいる。何故?と思うと、結果しか見ていない、だから過程を評価できないと言う。なるほど、それは実に寂しい勝利至上主義だと思う。

一つの勝敗しかみないのなら勝利至上主義は実に寂しいものだ。けれども、物事は一つだけではない。例えば、ミスを犯した選手はミスを犯した選手だ。そこを一つの勝敗しか見ないのなら、負け、でしかないだろう。けれどもその選手は別の局面でいい仕事をするかもしれない。そしたらそれは、勝ち、だ。ただそれだけの話だ。すべての局面で勝てたら良いと思う。でも、実際はそうではない。ならば、たくさんの勝敗を積み重ねていって、そのすべてについて、あれは負けた、悔しい、あれは勝った、嬉しい、そう思っていくだけである。それは、そんなに寂しいことだろうか?

僕は勝てる試合を日本代表が落としたこと、ベルギー代表に負けたことを本当に悔しく思っている。でも、その過程における勝ちは別のものとして持っている。そして、その悔しさを少しでも減じるために、また勝つことを願って応援していく。

おわりに

後でバレたときに面倒なので書いておく。僕の勤め先はとあるJクラブのスポンサである(そんなにお金を出しているわけではない系らしい)。しかし僕はそのチームをほぼまったく応援していない。基本的に無関心である。それから、なんかよく知らないが、Jクラブがらみの仕事もしているらしい(ほんとうによくしらない)。というわけで、利害関係者ではある。

それから、まあこんなところに書いてもしょうがないのだけれど、僕らに代わって表舞台で戦った、選士(選ばれしサムライ)たちに感謝の気持ちを伝えたい。それを記して、この記事を終わりとする。ありがとうございました。

セカンドシーズンの終わり

まえがき

昨日正午に公開した第二十四話第七部分を持って「明石二種第一学校蹴球戦記」の連載を終了した。二ヶ月半と去年より短い期間だったけれども、毎日更新ということで読んでいただいた方は大変だったと思います。ご愛読ありがとうございました。たまにつくいいね!に力をもらって最後まで書き上げることができました。

達成したこと

まず、自分で自分を褒められることについて書いておきたい。

正直10週間毎日3000字はキツかった。普通に勤務していたし、映画のプリヴィズを作り、それから開発(馴染みがないかもしれないが、FILMASSEMBLERの映画作品は撮影前に「開発」という様々な試験や機材や技術の確認を行う。映画製作者にとっては結構一般的な言葉)を始め、受かるかわからないコミケの原稿を書きながら、聲の形リズと青い鳥の感想を書き、ヴァイッド・ハリルホジッチの解任の真相の記事を書いて、その上でさらに小説を書いていた。家はもちろん電車の中でもホテルでもマクドナルドでも書いた。そうして大体25万字書いた。睡眠時間を家で6時間取らないとダメな子なのでてっぺん越えはできないし、本当に大変だった。

それから、一日も原稿を落とさなかった。これも自慢したい。3,000字に達しない日もあったが、それは区切りのいいところでやめたからである。本当にギリギリ、2分前まで書いていた日もあった。でもやりきった。誇りに思っている。

誤字脱字について

とはいえパーフェクトな出来には程遠く、誤字脱字そして描写間違いがかなりあったのは知っている。読んでいただいていた人たちにはお詫びしかない。シリアスなシーンで予期せぬギャグな誤変換が登場したこともあったと思う。そもそも予期せぬギャグの多いふざけた作風なのだが、意図したものと意図しないものの違いがある。

ちょこまか直しても良かったが、やりはじめるとキリがないし上記の状況なのでそんな作業時間はない。したがって放置している。まあ生暖かい目で見ていただければ幸いである。

構成上の問題

それから、書きながら伏線をもっと敷けただろうと思うのは本当に辛かった。いくつかの読めたシーンは先に伏線を敷いたし、大きな流れは先にできていたのでやれたことはやれた。けれども、どうしてもその話を書き始めてから思いつく先の展開があって、複数話を跨ぐ伏線が張れなかった。こういうものは先に書いてから丹念に整理すれば張れるものなので、見切り発車で書き出した、そしてそういう形にせざる得なかった自分が悪い。

いつか、また整理して本を作ったり、あるいは何か素敵な出来事があったらそういうところも整理したいと思っている。ちなみに既にA4で100ページを超えているので、コピィ本を作ったりする予定はない(大体私の知る限り買って読破している人間は二人しかいない)。

ジャスビコと聲の形

四月からの連載を決意し、やりはじめてから思ったのは「Just Because!」と「映画 聲の形」といかに同じ話を作らないか、厳しい戦いになるな、ということである。二つの作品の脚本は大変なハードルになった。方や生っぽい話であり、地味さは華やかな舞台に立つ明石二種では勝負にならない。全然現実感が違うのである。もう片方は障碍者の話でありこれまたこっちが勝負にならない芯の強い作りになっている。

これら二つと自分の描く作品は本質的に違うものであるという自信はあったが、それをしっかりと描いていく必要があった。さらにその上で、書き終えた時に違いに自信を持てる状態にしたかった。そして、書きながらそういう問題に立ち向かうということは、前に戻って修正をかけるということができないということだ。

自分が八年間取り組んで来たお話を信じて、能力を信じて書き続けて、一応「お話として」違いを作り出せたと思っている。もちろん、作品としての実装は全然話にならない。けれども、もし明日の朝「豊住さん、これ金出すからアニメ作ろうよ。でも企画書でちゃんと違いを説明してね」と言われても、抱える恐れは「違いを説明できない」というところにはない。

トラウマと争い

たくさんの要素を詰め込んだお話だし、そもそも作品でしか表現できないから作品にしている。ただちょっと書いておくと、僕がこのお話でやっているのは、青春の物語なのだ。そしてそこには大きな軸が二つある。

1本目の軸は軽い軸で、みんな大好きトラウマ克服のドラマだ。たくさん入れたのでどれか一本お気に召したのがあればいいと思っている。簡単なことだし、説明しやすいし、感動してくれる人も多いからエンタテイナとしてサーヴィスしたつもりだ。

2本目の軸は重い軸で、決して解決されることのない争いのドラマだ。このお話には、たくさんの争いが詰まっている。そしてそこに対して、解決がないことも非常に多い。けれどもそんなに青春は捨てたものじゃないぜ、むしろそういう解決ができないことを受け止める度量を手に入れていく過程こそが青春であり、たまに本当に奇跡的に何か「もしかしたらこうだったんじゃない?」ということが見つかる、そういうものを描きたかった。

僕は作品の参考にかなり押井守監督のお言葉を使っているのだが、そのうちの一つに「憧れの世界を描け」というものがある。一方で僕の中には「憧れの世界なんて嘘っぱちでそれを観てもただ劣等感に苛まれるだけじゃないか」というものがある。その間の危ないバランスを取ることを心がけたつもりだ。

薄氷を踏むような作品になってしまったと自覚しているし、書いていて内容的にも伝わったが、読んでくれた人がなにか価値を見つけてくれたら嬉しいと思っている。

七人の侍ゴジラ

もうこの話は何度もしているのだけれど、僕は作品の理想形は七人の侍をつくることにあたって決められたという方針だと思っている。「カツカレーの上にハンバーグを乗せて卵でとじる」作品だ。なんでも載ってる。豪華なやつだ。そして実際、七人の侍とはそういう映画である。

僕はそういう意味で1954年のゴジラが好きだ。戦争映画であり社会映画であり災害映画であり恋愛映画であり犯罪映画であり科学映画であって、怪獣映画だ。

明石二種の連中には様々な種類の物語を背負ってもらった。もっと背負ってもらいたいし、上にあげたような作品を見たときの満足感を感じてもらいたいので、努力していきたいと思っている。

映像作品として

様々なことをやれた一方で、もう一つ苦しかったのは、そもそもアニメを作りたいという妄想で描いたお話だったということだ。

例えば卒業式の回は、丁寧に仁科が投稿していく様を描きたかった。文章にするとああいう陳腐で短いものになってしまい、上野から築地に至る道の、どうってことない東京の道の豊穣な風情が喪失してしまう。時間が消えてしまうからだ。

それぞれのキャラクタが何を思っているのか、文章で書きたくなかった。ちょっとした表情や仕草から読んでもらい、秘めたる想いを感じて欲しかった。自分がもっと技倆と信用を持っていさえすれば、こういう形で発表しなくて済んだのだと思うときは日に何度もある。

ただ、前半を0-3で終わったとは思っていないし、もうしそうであったとしても、全てを失ったわけではない、というお話を書いた。まだ二話残っている。見せたい形で二十四話を改めて披露し、そして最後の二話に用意した感動の素材をたくさんの人が心の中で料理してくれる日のためにがんばっていきたい。

むすび

今はそういうわけでMANN: SYSTEMの制作が最優先事項となっているが、近いうちに本当に短いけれどまた、3年前の四月のような形で動く彼女たちを見せたいと思って準備している。いつになるか約束はできないが、少し期待してくれたら嬉しいです。

あと、よかったら感想ください。「くそつまんねー」の一言でもいいので。「ここで力尽きて読むのやめた」とかでも大歓迎です。

去年の四月、連載を始めた時はこういう形で続編を公開することになるとは思っていませんでした。前作の二人の偉大な読者によって、この二ヶ月半は生まれました。ありがとうございました。

明日初陣を迎える、サムライブルーの勝利を祈って。

凪いだ春の西へ -三重・愛媛・大分・大阪・滋賀・京都の五日間-

帰り支度をして執務室を出る。エレベータには他の部署の一団と一緒に乗り込んだ。役員氏が「豊住君も中華行かない?」と誘ってくれたが、「これから夜行列車で旅行にいくので」と断った。なぜか、笑われた。夜行列車で旅立つって、普通じゃないのだろうか。

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18年前に、JR東日本がTRAING 2000キャンペーンというのをやったことがある。父がそのパンフレットを貰ってきて、僕はその存在を知った。ルールは簡単で、JR東日本の管轄する各路線の半分以上に乗車し、乗車駅と下車駅で証拠写真を撮影する。その写真をアルバムに貼り付けて送ると、景品が貰える、というものだ。また、自分で乗ったところの路線図を塗りつぶしていく楽しみもある、というわけだ。父はこれをやろうと言い出して、僕もそれに乗っかった。そして青春18きっぷで行こうと言い出して、僕はその存在を知った。

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青春18きっぷで旅を始めるとき、夜行列車は大きな武器となる。移動距離が長いからだ。そして、寝ている間に移動できるので、時間のロスも少ない。

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しかし、もう青春18きっぷで乗れる夜行列車はほとんどない。存在を知った頃は、まだたくさんの夜行快速列車が走っていた。だから、それを駆使して日本中を巡る夢のような旅行の計画を立てられた。そしてそれは夢のままになってしまった。けれども、その夜は夢のかけらが戻る僅かな夜の一つだった。23時10分に、東京駅を夢は発つ。

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ブラシレスジンバルが突然死を遂げて、これからの5日間の旅路に死重量を抱えることになった。もう何年ぶりに乗るかわからない185系は、やはり足下が狭い。さっさと寝たいところだが、改札までは起きていないといけないので、ぼーっとして過ごした。改札が近づいてくると、突然席を立って後方に行く背広姿がちらほら見かけられる。

改札を無事終えたら、すぐに寝た。ノイズキャンセリングヘッドフォンとアイマスクで少しでも寝やすい状態を作って眠りに落ちる。浜松で喉が渇いて目覚め、湿らすだけの水を飲んだ。他に記憶に残っているのは、熱田駅の暗いホームぐらいだ。それぐらい、よく寝た。それでも、全体の時間はそれほど長くなかった。

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生憎、春分の日の東海地方は雨だった。どこに行っても雨ではつまらないし、折角の機会なので名鉄名古屋駅に向かう。一度間違って地下鉄の方に行ってしまい、正しい方に向かうのに苦労した。目的地にたどり着くと、一人男性がいたので話しかけた。同じ目的だったので隣に座り、三時間戦い抜くこととする。

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一番氏によると、今回は人が少ないという。いつもならもっといるのに、何かあったのだろうかと言っておられた。まあ、今日は名古屋に並ばなくてもいいので、他の駅に散ったのではないかと予想を立てた。

駅の入り口から近い近畿日本鉄道名古屋営業所の前は冷たい雨の風が流れ込み、とても寒かった。もちろん、防寒はしっかりしてきたので困るほどではないが、寒いものは寒い。旅行鞄を椅子の代わりにして、長い時間、待った。

しばらくすると、人も大勢出てきて、なかなかの列が形成された。駅員氏が出てきて、他の客の迷惑にならないようにと列を動かすと、いきなり寒くなる。知らないうちに人の壁ができていて、それによって大分快適になっていたようだった。

時間も近くなったので立ち上がって待機する。今日発売の商品は、観光特急しまかぜの運行開始五周年を記念した入場券のセットと、スタンプラリィの景品を入れるためのケースだ。このスタンプラリィは日本の私鉄では最長の運行距離を誇る近鉄の全線に広がる狂気のスタンプラリィなので諦める。近くの人も「東京から来てるんじゃそりゃ無理だ」と言っておられた。

営業所は狭いので、一人ずつ通された。まあ、二番目なのですぐ済むだろうと思っていたら、えらい時間がかかる。まず、欲しいものを訊かれる。すると、駅員氏は一度奥に引っ込んで、数十秒後に要求した分だけ持ってくるのである。速度感は日村乳業が新幹線なら、こちらは徒歩である。どうしてこんな販売体勢になっているのか、謎である。

さて、目的のものを手に入れたが、とにかく天気が悪いので、雨でも楽しめるものを楽しむことにした。

名古屋市営地下鉄に乗って、東山線の終点である藤が丘駅まで行く。地上に上って、隣接する愛知高速交通東部丘陵線藤が丘駅に行こうとすると、双方の屋根の間に30センチメートルほどの隙間がある。雨がよく降っているので、絶対に濡れる。新高岡駅にもこういう場所があった。謎である。どうして繋げられないのだろうか。

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愛知高速鉄道は、リニアモータカーである。しかも東京都交通局大江戸線のように鉄車輪式リニアという生ぬるいものではない。浮上式のリニアである。もちろん世界最速であり、恐らく最強を目指すであろうJR式マグレブのようにとてつもない速度が出るわけではない。しかし、新交通システムとしては日本最速の時速100キロメートルを記録する、新世紀の交通システムだ。

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浮いているからか、縦揺れが少なく、かなり快適な乗り心地である。そして、窓が大きく視界が広い。低空飛行しているような具合である。踏切がないから衝突事故の心配もなく、大胆な設計になっているのだろう。その名の通り丘陵地帯を通っていくから、大変見晴らしが良い。これで晴れていたらなかなかの旅路になるのではないだろうか。眼下にはIKEAなどが見える。これも良い。ここに街があって、大勢の人が住んでいることがわかる。これから発展していくであろう、未来を感じさせる景色だ。

僕は、そういうものが、好きだ。

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愛・地球博記念公園駅で下車し、我らが鉄道むすめの八草みずきちゃんのグッズを手に入れてスタンプを押した。青緑の髪でウィンクした彼女は、白手袋に水色ブラウスと大変ステキな装いである。なかなかグラマラスな体格で大変よろしい。気に入りました。 残念ながら天気はよろしくないので、外の公園に行くのはやめておくことにする。まだモリゾーキッコロがいて、13年前来たかったなあと思う。まあ、そういうこともある。

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名古屋の駅に戻って、快速いせ号で鳥羽まで向かうことにした。ホームの売店松阪牛めしとお茶を購入。転換式クロスシートだからテーブルがなくて不自由だが、せっかく旅行をしているのだから駅弁で昼食としたいものである。

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汽車の唸るような走行音と共に南へと向かう。

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車掌氏が来たので、伊勢鉄道の料金を支払った。快速みえ号はJR線だけでなく、伊勢鉄道という第三セクタの鉄路を通過する。したがって青春18きっぷだけでは生き延びられないのである。

列車は中部地方の都市部を抜けていき、四日市を通っていく。たくさんのタンク車や遠くにそびえ立つ工場の塔を見て、鳥羽へと進んだ。伊勢鉄道の鉄建公団線特有の線形が印象的だった。その高架から見える緑の地面も。

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鳥羽まで行ってもいいが、宿の迎えがくるには時間があるので、二見浦の駅で降りた。ここから近くの二見興玉神社まで歩こうという算段である。空はどんよりと曇っていて、地面は雨に濡れている。そして風が強く、なかなかの寒さだ。春分の日だというのに、まったく春の気配がない。

二見興玉神社に来るのは、4年前以来だ。4年前の夏、僕らは種子島に行こうとして台風に阻まれた。そして西日本を大きく回る大旅行を仕掛け、最後に訪れたのがここ、二神輿玉神社だったのだ。あの日もここは曇っていて、地面は濡れていた。いつか、晴れた日に来たいと思う。

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神社から戻る途中、赤福でおしるこを食べた。赤福は好きなのだけれど、8個入りを消化する能力がない。なので、店頭で食べることにしている。赤福餅は明日食べることにしよう。今は温まりたい。店内には他の客として老夫婦がいて、なにやらいろいろと店員さんと喋っていた。

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二見浦の駅に戻り、列車を待つ。駅の待合室も、階段も、もちろんホームも、どこも薄ら寒い。ベンチが都会では珍しいタイプのものだから、写真を撮ったりしていた。喫煙コーナーのラベルにガムテープを貼って隠したのが、剥がれて見えていた。駅近くの家に、花が咲いた木が見えた。それは灰色と鮮やかさの足りない緑の景色のなかでとても目立っていた。

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鳥羽の駅でまた小一時間待たないといけないので、駅の近くにある伊良子清白の家というところまで行ってみた。しかし、開館時間のはずなのに、どうやら祝日は閉まっているらしい。なかなか好きなタイプの建物だったので、残念である。

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しかたないので上りのしまかぜを撮影して遊ぶことにする。なかなか気にいるショットが撮れた。ベストではなかったかもしれないけれど。連写しているうちにバッファを使い尽くしてしまい、連写速度を落としてしまったのが敗因である。ちゃんと機材の限界を把握しないと――。

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鳥羽の駅には旅館のマイクロバスが駐車するための専用のスペースがある。そこから、迎えのマイクロバスに乗って、今日のホテルへと向かった。一日の疲れが沸き起こる中、雨煙に包まれた日の傾く峠道をバスは走っていった。それはまるでスティーブン・キング原作の映画が始まるような道だった。けれども、行き先は64年前にゴジラが初めて人類の目の前に姿を現した大戸島なのだ。

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朝、起きて外を見ると、少しずつ晴れ間が、水平線のあたりから広がってきていた。朝食を追え、発つ頃になると空はとてつもなく青くなっていた。

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近鉄に乗って宇治山田駅へ行き、神宮の外宮へと赴いた。三年半ぶりのお伊勢参りだ。平日の今日も人に溢れた豊受大神宮を参拝し、いくつかの摂末社を参拝した。少しずつ光が差してきて、どんどん青空が広がっていく。春らしい空になった。

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バスに乗って内宮へも、もちろん行った。止まっているバスには路面電車風のラッピングがかかっていて、とてもかわいらしい感じだった。宇治橋を渡った先に一本桜の木があって、見事に咲いていた。内宮も、外宮も、とても人が多いけれど、時折できる一瞬に誰もいない時間がある。その一瞬を探して、気付いたら結構な時間が経っていた。

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おかげ横丁へは初めて行った。小松氏の声で碧志摩メグの姿を見つけ、キーホルダを買った。可愛いので適当なところにつけておくことにしよう。赤福餅も堪能できた。

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五十鈴川駅から一旦賢島駅へと戻って、今回の旅のメインイヴェントを開始する。賢島駅のホームからはまるで夏のような深い青空が広がっていて、その下に近畿日本鉄道のフラッグシップと言って良い特別な列車が侍っている。

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観光特急しまかぜ、近鉄50000系電車の1号車に乗り込み、ロッカに荷物を預けた。僕の席は、ハイデッカ車の一番先頭にある。その素晴らしい見晴らしを堪能していると、電車はゆっくりと進み始めた。

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取り急ぎダブルデッカとなっている4号車のカフェに行こう。この期間だけの先着限定の特別なスイーツセットがあるのだ。可愛らしい箱の名前は伊勢志摩の宝箱といい、添えられたハーブティと共に沿線の景色と丁寧な味を堪能した。

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さて、我が席に行くと、男性が経って前面ガラスにかじりついている。しばらくして彼が離れると今度は子どもがやってくる。そして子どもが離れるとまた先程の男性がやってくる。そうこうしているうちにどんどん景色は流れ日は傾き、これぞというシャッタチャンスを何度も喪失した。最早我慢することのほうが損失であると考え意見して排除する。トワイライトエクスプレスのときも、カシオペアのときも、最後の北越急行はくたかの時も、こういう輩に不愉快な思いをさせられてきた。いつも、そうだ。嫌になる。

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天気は悪化していき、目に見えていた素晴らしい景色の記憶にはすべて邪魔者が乗るという本当に度し難い展開になった。そして列車は次第に徐行し、ついに信号場で停車するに至った。これにより4分時間をロスするものの、運転士氏はその持ち前の技倆を発揮して近鉄四日市駅到着時には遅延を二分まで縮めた。その後も打撲した乗客がいたらしく、時折乗務員室は賑やかになったが、概ね問題なく列車は走り抜けた。運転士氏それぞれが持っているタブレットは皆カスタムしているらしく、一人の運転士氏のそれは「ハッキリした歓呼で無事故完遂」と表示し続けていたのが印象的だった。もちろん、運転士氏の誰もが粋な歓呼で旅路を演出してくれた。

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今度はもっと強くなって乗ろうと誓い、近鉄名古屋駅の地下ホームに降りた。そして、そのままアーバンライナに乗車する。大阪難波へと向かうためだ。

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大阪難波の駅から、地下鉄に乗って住之江公園駅で乗り換える。それからニュートラムに乗ってフェリーターミナル駅まで行った。ニュートラムはなんだか80年台のSF映画みたいな感じの雰囲気がとても気に入った。時間がなかったからあまり撮影しなかったけれど、のんびり撮影したいものだ。

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大阪南港フェリーターミナルから、オレンジフェリーの東予港行きに乗船する。電源を確保したかったので、ちょっとランクの高い席を取った。明日は早起きなのでさっさと寝るために船内浴場へと向かう。脱衣所には子どもがいて「ウルトラマンのうた」を歌いながら服を着ていた。狭い脱衣所の中でロッカから荷物を取り出したそうにしているのでどいてやると、きちんとお礼を言える良い子だった。ちょっと「ウルトラマンのうた」の歌詞が間違っていたので教えてあげたくなったけど、黙っていた。風呂を上がったら、歯を磨いてすぐに布団に入った。まだ20時を回って少しだったけれど、眠ることは難しくなかった。

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東予港に入るよりもしばらく前の、まだまだ暗い時間帯に目が覚めた。でもまあ、フェリーの中を散策するのも楽しいかと思い、ふらふらと歩いたり、まだまだ寒いデッキに上がったりした。デッキに風は吹いていなかったけれど、空気がとても冷たい。闇の中に浮いた明かりばかりの視界は、すこしずつ青く染まり、ゆっくりと水平線から赤い色が立ち上ってきた。それでも、まだ日が出ているとは言えない時間に、フェリーは東予港へと到着した。

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駅までバスが出ていたけれども、時間まで結構あった。歩いても同じぐらいなので、僕は歩くことを選択した。そのほうがきっと楽しいと思ったからだ。港から歩いて出る人間は少ないのか、出方がよくわからなかったけれど、作業着姿の男性が教えてくれたので、大型トラックやトレーラに気をつけながら歩いて出た。田畑の広がる平野の中にある道路を歩いていると、冷たい空気や靴の裏から染み込むようなアスファルトの温度が、上がる体温で気持ちの良いものになっていく。雲のない青い空の縁には山脈が見える。そしてその裏側からゆっくりと朝日が上がってきた。

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凪いだ静かな水面には、朝の景色が広がっている。

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道中にコンビニエンスストアを見つけたので、とりあえずおにぎりとお茶などを買って食べた。歩きながら、どこの観光名所でもない、ありふれた、でもここにしかない景色を撮っていた。

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壬生川駅につくと、駅前にパン屋があったのでそこでパンを買った。家族連れなんかも来ていて、ここに生活があるのだな、と感じられた。駅の構内にはたくさんの制服姿が溢れていた。春休みなのに、部活だろうか。

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改札口で青春18きっぷを発動し、入場する。到着した列車に乗り込むと、座席は生徒たちでほぼ満席だった。楽しい通学シーンを怪しい人物に邪魔されたくないだろうから、ドア近くにもたれ、外を見ていた。

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今治の駅に着くと、多くの生徒達が降りたからセミクロスシートのボックスを占拠することができた。しばらく電車は停車していたから、少し眠った。ロングシートの側には一人の女子生徒が座っていて、ずっと本を読んでいた。このまま乗り続けるのかなと思っていたら、列車が発車する直前に降りていった。座れる暖かいところで勉強したかったのだろうか。特急いしづち号が反対側のホームに停車し、僕の乗る列車を追い越していった。

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松山の駅には、「国鉄の名残」が溢れていた。こういう駅が、僕は好きだ。少し時間があったので、駅スタンプを押したり、用を足したりした。

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出発する何日か前、同僚のお姉さんが「壬生川から西に各駅停車で向かうなら、海側の線路を通るんだよ」と教えてくれた。その指示に従って、予讃線宇和島駅キハ54系に乗車した。そして、絶句した。一両編成はまあいい。よくあることだ。全席ロングシート、ローカル線では珍しいが、許容しよう。トイレなし、ちょっとまってくれ。何時間乗ると思ってるんだ――。四国舐めてました。まあいいか。途中下車、するし。

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汽車が松山を出ると、すぐに見事なスタジアムが目に飛び込んできた。こんなすごいスタジアムがこの街にはあるのか。僕は、こういうものに旅先で出会うことが好きだ。未来がはっきりと見える、そういう様が好きだ。もっとそういう経験ができればいいと思うし、そういうことで、そこに住んでいる人達が幸せになってくれればいいと思っている。車内に黄色い帽子を被った子どもたちで溢れたりもした。もっとこういう光景が増えてほしいと願っているし、そのためになにかできることはないかと、いつも探している。

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ゆっくりと列車は栄えた年から長閑な景色の中へと進んでいった。茂みの向こうに海がチラホラと見えるようになり、ロングシートの車内からは広い視界が楽しめるようになった。なるほど、これはこれでいいものかもしれない、と思う。クロスシートでは必ず背もたれに邪魔されるが、一両に二ドアのこの車両は非常に窓が広く感じられる。これを上回るためには、ラウンジカーのような特別な車両が必要だ。

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この路線には大変有名な駅があり、その駅はとても混んでいた。運転士氏の他にも乗務員氏が乗車されているのは、きっとこのあたりは乗車人数が多いからだろう。けれども、僕はその駅を飛び越えて、その次の小さな駅で降りた。駅の名は「串」と言う。海を望む小さな待合室があるだけの駅を離れ、来た方向へと僕は歩き出した。道端の木には花がつき始めている。空は青く、程よく雲が浮いている。風は感じられないほど穏やかで、海は静かな波を見せていた。

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海沿いの道には春の穏やかな時間が流れている。歩行者の見当たらない道を歩きながら、目に映る景色の中に自分が未来に描く映画のショットを思い描きながら歩いていった。

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僕は「旅行はこの移動手段で」みたいなことをあまり考えない。どの移動手段にも一長一短あると思うからだ。車での旅行は、機動力が格別だ。大きな機材を運んだりすることもできるし、それ自体で宿にすることもできる。車でしか行けないところがある。気分のいい道を運転していくことには、それ自体の魅力がある。

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鉄道での旅行は、線路だけが持っている景色の視点が魅力だ。時刻表を手繰り、切符を用意して計画を立てることにも楽しみがある。駅弁を買ったり、見知らぬ人と話をしたりすることも楽しい。誰かの日常の中に入り込んで、その生活の尊さを少し覗き見させてもらう素敵な体験もある。もちろん、乗るだけで楽しい列車もある。

歩いて行けば、歩くことでしか見つけられなかったものを見つけることができる。海沿いの道を歩き、近くに造船所のような建物を見つける。そしてそこを覗き込むと、船を曳き上げたり進水させるためのレールが敷かれていることがわかる。道路の下をくぐっているその先を見たくて道路を渡り、反対側から覗き込むと、水中に敷かれたレールが見えた。

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列車に乗っていても、車に乗っていても、見つけることのなかった景色だ。

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さらにしばらく歩くと、下灘駅に到着した。この駅は大変有名で、良い写真スポットであるためか、たくさんの人にあふれていた。昨日、神宮でやったように、人の消える一瞬を狙って景色を切り取る。晴れ渡る空はがあったことを、とても幸運に思った。

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駅舎の中で写真を撮っている大学生らしいグループが、暗い室内で写真を撮るとブレてしまうと悩んでいる。ニコン機だったのでISO感度を上げる方法を教えてやり、ただ、これをやると画質が落ちるから必要ない時は下げるようにと教えてやった。

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心行くまで下灘駅を撮影して、来た道を歩いて帰った。同じ道でも逆向きに移動すると違う景色が見えることがある。そういうものを狙って歩くのも、また良い。それに、高くなった陽が、影の形を変えてくれる。

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串駅でこれぞというアングルを見つけておいたので、狙いすましたようにやってきた汽車を撮影した(縦構図のためブログでは割愛)。それからすぐに反対方向へと向かう汽車がやってきたのでそれに乗る。下灘駅へと向かう汽車なので、多くの人が乗っている。そして下灘駅で降りる。僕は、先程乗っていたときに見た景色から、ここで撮ると外が映えるはずだという時機を抑えておいたので、そこを狙った。

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灘駅を超えて、高野川駅について下車した。この駅も小さな駅だが、駅からは海の方に向かって、まだ打ってから歴史の浅いアスファルトの道があった。町が生きているのだ、という印象がある。こういう小さな「素敵」を見つけていけるから、旅は楽しい。

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駅のホームからは跨線橋が見える。そこに親子連れが来て、気動車は来ないだろうかと眺めていく。駅の近くには柑橘類の木があって、黄色い果実を実らせていた。そしてしばらくするとまたキハ54がやってきて、僕はそれに乗る。

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美しい景色は流れていき、たまに腰を低くすると、空の中を走っているような絵を見ることもできる。もっと広角のレンズがあったら――そんな風に思うことも、ある。荷物が重くなるので、また考えないと。一番手っ取り早いのは、より大きなカバンを用意することである。今のは、国際線に持ち込むことを考えたサイズだ。

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線路はいつしか海から離れ、川沿いの道を進んでいった。優しい景色を眺めていると、伊予大洲の駅に到着した。これまた素敵な駅だったが、それほど時間の余裕がないのですぐに宇和島行きの気動車に乗った。中には遠足らしい子どもたちと付添の先生方が一杯だった。

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僕は、後方の運転台付近に陣取って、奥へ奥へと過ぎていく景色を見ていた。次第に線路脇の桜が咲きだして、西に来たんだな、という印象を強くした。

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それほど長くはない時間の後に、八幡浜駅に到着した。プラットホームの屋根から吊り下げられた「のりかえ 別府連絡」の案内が「その先の日本」を感じさせる。八幡浜には、前年の七月に車でやってきた。今度こそのんびり散策を、と思っていたのだが、時間がないのですぐ次の列車に乗った。

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どんどん花が増えるのだろうかと思っていたが、そんなことはなかった。けれども、広がる景色の多彩さはまた特別なもので、薦められるものだ。山の高いところから広がる緑とその奥に見える海、繋がる空、そういう広がりがある。肉眼でなければ捉えられない豊穣な階調幅の景色を堪能していると、宇和島が近付いてくる。

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宇和島駅は、終着駅だ。昨日の洗練された賢島駅とは違う、初めて出会う懐かしさの漂う駅だった。どちらも、別の尊さを持っている。

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夕暮れまでの時間を過ごそうと駅の外に出た。そして、近くの神社までへと歩く。駅前は南の街の雰囲気を持っていて、まだ発展の予感がある。一方で創業以来七十三年の老舗の店が再整備事業により立ち退き、高齢に伴い廃業ともなっている。そういう寂しさと、新しい時間がくる喜びと、同居していかなくてはならない。

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宇和島城はもうすでに陽が届かなくなっていて、満開の桜を美しく撮れるような時間ではなかった。さらに、工事が進んでいて土嚢などがどうしても視界につく。まあそれでも、仕上がった日のことを思えば我慢できるというものだ。高台から見える港の景色は格別で、大きく曲がって伸びていく道路の高架には未来への期待がある。そしていつか、ここから新幹線が九州に繋がるのだと思うと、言葉にしようのない勇気を覚える。道中見た、四国地下開発宇和島営業所の力強い文字列を思い出した。

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宇和島駅に戻ると、次の列車まで時間があったので、駅の裏側にある和霊神社に行ってみることにした。ついでに、蒸気機関車の保存車があるようだから、それも眺めに行った。薄暗くなった公園に「ふるさと」が響き渡る。街灯がつき始める。

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荘厳で素敵な神社だったが、もっと明るい時間に来てみたい。また来よう。今度は、どんな手段で来るのだろうか。

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夜の中を各駅停車で進み、八幡浜駅まで引き返した。車内には部活帰りの生徒たちが疎らに座っていた。自転車部の白いヘルメットや、トリコロールのジャージ姿が印象に残った。

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すっかり闇に沈んだ八幡浜駅は暖かな光を放っていて、また通り過ぎてしまうことを寂しく思う。次こそ、ゆっくりと旅に来よう。そしていつか、ゆっくりと四国を巡ろう。その時まで、鉄路が過去にならないことを祈っているし、そうしないために言葉を紡いでいこうと思う。

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静かな夜の街を歩いて、八幡浜港へと向かう。そう、僕は「のりかえ」するのだ。

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前年の夏、ここに来たときも、フェリーで別府で向かうためにやってきた。夏の長い日差しは、夕食時になっても残照をこの港に張り巡らせていた。僕らは近くのホテルの一階にあった喫茶店でチャンポンを食べながら、プロ野球オールスターゲームの実況を聞いていた。あの夏のような旅路をまた描きたいと思い出せる。

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フェリー乗り場で現金が必要なことに気付いて、慌ててコンビニまで引き返し、金を下ろした。フェリーは前回と同じあかつき丸だ。「あかつき号」でなかったことに感謝する。

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出港後、少しだけ開店する売店でじゃこ天とビールを買って、晩酌とした。まあ、悪くない一日だった。それから、少し眠った。

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別府港からは、星が少しだけ見えた。少し歩いて、スーパー銭湯に辿り着き、一風呂浴びた。牛乳を飲みながら一休みして、歯を磨いて仮眠室で眠った。板の間に薄い布団だったので、背中が痛くなった。

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まだまだ夜明けの遠い時間だったが、銭湯を出て、別府駅へと歩き出した。野良犬とすれ違ったりして、夜の散歩はなかなか楽しい。誰もいない夜の街の景色を楽しみながら歩いていくと、別府駅へとたどり着いた。今日の分の切符を券売機で買おうとしたら、発券できなかったので窓口氏に頼んで購入した。ずいぶん変わった買い方をするな、と思われただろう。まあ、何はともあれ、東京までの切符を手に入れることはできた。ホームに上がると、驚いたことにそれなりの人数がいた。昔は大きな駅だったのだろうが、通過線の線路が剥がされた痕跡があって、それはとても寂しい景色だった。いつか、またいつか、ここに線路を敷き直す日が来てほしいと思っている。

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はじめてのJR九州の特急列車、はじめてのJR九州管内における乗車体験は、はじめて知ったJR九州の列車である特急ソニック号となった。水戸岡鋭治のセンスが散りばめられた車両に乗り込み、真っ暗な旅路を進んでいった。883系電車の振り子機能も楽しめた。

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小倉の駅について、さて新幹線で新大阪に向かいますかと思い、e5489に繋いだが全然空いていない。どうしたものかと思ったが、こうなると自由席の混雑度はあまり良いものとは思えなかった。仕方なくグリーン車を選択し、のんびり行くことにする。朝食は当然、弁当としよう。旬鯖ずしに綾鷹を購入し、のんびりやりながら初めての乗車となる山陽新幹線小倉-新大阪間を堪能する。時速300キロメートルで流れる景色には、特有の風情がある。

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初めて新大阪の駅で降りて、そこから目的地まで歩くことにした。大阪の空もよく晴れていて、実に春らしい陽気だった。近代的なビルが立ち並ぶ中に古くからある民家があったりして、僕の好きな東京の景色に似ているところがある。そんな街並みを撮影しながら歩いていると約束の時間へとどんどん時計は進んで行った。

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九州からいきなり大阪に来たのは、二年連続で訪れた米子映画事変の実行委員会から、宣伝イヴェントに登壇して喋って欲しいと言われたからである。二つ返事で引き受けて、この大阪にやってきた。昼過ぎから数時間のイベントに出席し、登壇して喋らせてもらい、作品も上映していただいた。ありがたい限りである。

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そのあと懇親会となったが一旦荷物を置くためにホテルへと行った。ところがこのホテルが福島というところにある。そしてホテルから会場への電車は非常に線形が悪く、梅田を経由して大回りするしかない。行きはえっちらおっちら行ったが、帰りは時間がもったいないのでタクシーを捕まえた。

「すいません、じゅうさん、というところまでお願いできますか?」

「は?」

「あの、漢字で、じゅうさん、と」

「ああ、じゅうそうな、ええで」

難読地名である。走り出してしばらくすると運ちゃんは言った。

「お客さん、十三へは、女遊びでっか?」

そんな金があったら、別のことに使うだろう。

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二次会もやって解散し、十三の駅から梅田駅までは阪急電車で帰った。阪急電車の小豆色の車体はお洒落で好きだ。

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次の日の朝は、梅田駅から青春18きっぷを発動し、まず新大阪駅へと向かった。そして、コインロッカに不要なものをすべて押し込む。身軽になってから駅構内のパン屋でサンドイッチを買った。それを食べながら東海道本線で京都へ向かい、京都から山陰本線に乗って、嵯峨嵐山駅へ行った。嵯峨野観光鉄道に乗るためである。

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残念ながら嵯峨野観光鉄道鉄道むすめ、嵯峨野ほづきちゃんのアクリルスタンドは売り切れていた。とりあえずまあ乗るだけ乗って、楽しむことにする。客車のボックスには窓際を確保した僕の他に三人の親子連れが座った。観光列車なので記念撮影をしきりに客室乗務員氏などがしてくれようとするのだが「パパとママとしらないおじさんそして僕」の写真が完成してしまうことを回避するために、出たり入ったり、いそがしかった。さらにまだまだ枯れ木ばかりの上に絶対逆の窓際に座ったほうがよかったな、という具合でまあ、単純に言えば、失敗である。

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馬堀駅から山陰本線で京都まで引き返し、京都から石山まで行った。別に中二病でも恋がしたい!聖地巡礼に行っているわけではない。京阪の窓口で石山ともかちゃんのアクリルスタンドを購入する、このために行ったのである。ともかちゃんは地味可愛い感じである。ついでにクリアファイルもゲットする。

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さらに九ヶ月ぶりに石山坂本線に乗って終点の石山寺駅まで行った。周辺をウロウロしながら何本か来た電車を撮影して構図を確認し、やってきた響け!ユーフォニアムラッピング電車を撮影する。望遠レンズがないので構図に厳しい制限が加わるところが残念だが、致し方ない。まあその条件下で満足行くものが撮影できたし、そもそも石山坂本線自体乗って楽しい路線なので、堪能して石山駅まで引き返した。

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まだまだ時間には余裕があるので、また京都まで引き返し、今度は奈良線でいつものように木幡の駅までいった。またウグイス色の103系にのることができた。これは最初に乗った二年前のあの夏からとても気に入っているが、もうなくなってしまう。それでも、満喫することができたと思える車両だ。いつか、映画の中で描いてやろうと思っている。

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とりあえず京アニショップ!を覗いて、今回はまあいいかなと再度奈良線に乗り、宇治まで行った。宇治は大変な人出で、日差しもまるで初夏のように強かった。冷やし飴を飲んで少し休んだ。それから、桜の木に蜂の類が飛んできて何やら励んでいたので、しばらく撮影して遊んだ。マクロに強いカメラも買っておきたいところだ。

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さて次はどうしようかな、とも思ったが、特に訪れて遊びたいところもない。では適当に街中をふらふらしようかとも思ったが、このあたりでついに脚力に限界が訪れてきたのである。昨年の夏は丸一週間以上遊んでいたわけだが、のんびり列車に乗りながら景色を眺めたりする時間やしっかりと宿で栄養を補給しつつ英気を養う時間がかなりあったのだ。毎日かならず七時間の睡眠をするための工夫もしてあった。ところが今回はとにかく歩きまくっている上に睡眠時間が少ない。一日あたりの平均移動量は5キロ多く、5000歩多く踏んでいる。ゆっくりしても恥じることはない。

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そんなわけで、新大阪駅で人や列車を眺めながら時が経つのを待った。これはこれで楽しい。そして、駅弁とビールを購入し、東海道新幹線ののぞみ号に乗車する。ビールは奮発してプレミアムモルツの<香る>エール、ご当地自慢明太牛たん弁当と洒落込んだ。

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品川駅手前の夜の輝きが眩しい。車庫にはサンライズエクスプレスが侍っている。またいつか、四国へとサンライズ瀬戸で行こう。

コミックマーケット94、当選しました。僕のサークル「水無月追跡所」は、日曜日 東地区“Q”ブロック-09bです。発行予定の新刊にはこんな旅行記をまとめて収録しようと思います。このエントリィは、新刊宣伝用のサンプルエントリィでもあります。ブログのようにたくさんの写真を貼ることはできませんが、紙面だけの写真や内容をできるだけたくさん(採算が取れなくても泣かない程度に)収録しようと考えています。「凪いだ春の西へ・特別版」「青春消化の暴走」「馬に出会う北海道」「セイカン」「文と写真で辿る、陸の奥-HEART OF AKITSUSHIMA-」などのタイトルを目次に並べる予定です。ご期待下さい。

こちらも見てね。


陸の奥 -HEART OF AKITSUSHIMA-

International Match Switzerland vs Japan

本日早朝というか昨日深夜行われたワールドカップ前の強化試合、スイス対日本は生放送で見ようと思っていたのですがクッソ眠くて録画で鑑賞しました。

マッチレポートは他にもいろいろあるので、僕の所感を書こうと思います。ズブの素人です。

西野監督の意図は非常に明確だったと思います。ザックジャパンで最も成功を収めた4-2-3-1のフォーメーションに戻し、いなくなった選手の代わり、特性の変わった選手、新たに代表クラスの能力を得た選手、こういったものを試している、という印象がありました。そして、それによって様々な問題点が浮き彫りになったとも思います。それは別の表現をすればヴァイッド・ハリルホジッチが求めたものがいかに正しかったかという話だとも思います(豊住はかなりハリルホジッチを高く評価していた人間というバイアスがかかっていることを忘れないでください)。また、それらが手に入らなければ「世界の舞台」で戦い抜くことが難しいことがわかりました。

いくつか例を挙げると、まずポジショニングです。パスの受け手、例えば後半武藤選手の位置取りが悪かったがためにラストパスを送れない、というシーンが何度か見られました。そこにパスが出せるのか、という考えをして、出し手にとって出しやすい位置を取る、そういったことがペナルティエリア内で出来ていなかったと思います。もちろん、後半の失点シーンもディフェンスのポジショニングがよければ、失点せずに済んだと思います。まあ、これは四年前から言えることですね。Jリーグでは「そこにパス出しても通らないでしょ」という浮き玉のラストパスを繰り返し、ディフェンスの隙間にたまたま入り込んでしまったものを外国人ストライカが力技で点を取る、というパターンが繰り返されています。ですから、そういうものが染み付いているのもわかります。けれども、それがワールドカップの大舞台で通用するのか、という話です。

また、足下の技術、特にワンタッチで敵から奪えず自らがコントロールしやすいところに置く、という世界のトップクラスでは当たり前のテクニックがなかったがためにチャンスを不意にするシーンというものが散見されました。このあたりは風間八宏監督が散々言っているところですね。

ディフェンスラインとその裏の緊張感という意味でも中途半端に上がっていて、ボールを支配してい攻めたいのか、相手のカウンタに備えたいのか、というところに不安が残りました。選手間の距離は、ボールを回すには遠すぎ、守備ブロックを形成するにも遠すぎ、完全分業制にしては近いという微妙な距離感だったと感じます。そういうディティールの問題がこの時点で出てくると、ヴァイッド・ハリルホジッチがなぜあそこまで細かったのかわかると思っています。

大会前の強化試合で調子が悪かったことで8年前の南アフリカワールドカップを思い出して、良い兆候ではないか、と言う意見が見られましたが僕はそうは思いません。あのときも敗戦が続きましたが、思い出してください。PKの原因はおよそ信じたがたいようなハンドだったはずです。本田圭佑はなぜあんな手の揚げ方をしたのか、今に至るも意味不明です。まあそんなことはどうでもいいのですが(ネタという意味ではよくないけど)、まったく雰囲気が違います。新しいフォーメーションがかなりいい具合にハマっている、という具合ではありませんでした。

長友選手は非常に印象に残りました。やはり一人違うクオリティを持っているなと感じさせます。本田選手はもっと見せられると思います。彼本来のクオリティからすると、まだ、という具合に感じます。

さんざんダメダメづくしですが、強化試合なので、こうやって色々な問題が出てきて潰せればそれでいいと思っています。西野監督もわかっていると思います。サムライブルーが本大会で一試合でも多く勝つこと、その試合がより多く見られることを願っています。

ヴァイッド・ハリルホジッチはなぜ解任されたのか-「コミュニケーション不足」と「自分たちのサッカー」の正体-

いよいよ今月はワールドカップである。しかし、我々の日本代表は、明らかに混迷という表現がふさわしい状態にある。不明瞭な理由で監督が解任され、世界大会を攻略する道筋が見えないまま、時計の針が進み続けている。

なぜ、前日本代表監督ヴァイッド・ハリルホジッチは解任されたのか。この疑問を解決するために、跳梁跋扈しているのが反商業主義に基づく陰謀論である。曰く、広告代理店の陰謀である。人気選手を代表に組み込まないヴァハを解任したのだと言う。曰く、スポーツ用品メーカの陰謀である。彼らは自らが支援する選手を代表にねじ込むためにヴァハを解任したのだと言う。

しかし、これらの陰謀論を唱える者は、なぜ中島翔哉が代表にねじ込まれなかったのかという疑問に答えない。なぜ、タレントを備えて敗北した2006年のワールドカップ後代表人気が低迷し、タレントを外して臨んで勝利した2010年のワールドカップ後代表の人気が上がったことを陰謀の首謀者達が忘れてしまったのか、という疑問にも答えない。反論できない、槍玉に挙げても反撃してこない相手を集団で叩いて溜飲を下げているだけ、と僕は見做している。

一方で、なぜヴァハが解任されたのかという疑問はおそらく多くの日本のフットボールファンのなかにある。それを解決するには、本当に商業主義に基づく陰謀論しかないのだろうか。このエントリィでは、別種の陰謀論を持ってこの疑問への回答を提示したい。それは「自分たちのサッカー」がいかに作られたか、という歴史である。

また長いエントリィになってしまった。はてなーにはウェブ系のエンジニアが多いから、そういう人達には伝わる形で、二段落消費して全容を示したい。そういう人達ではない人は、二段落を読み飛ばして、その後を我慢して読んでくれると嬉しい。

貴方が努めている会社は四年前、サーヴィスが失敗しクローズの憂き目にあった。そこで経営陣は新たなCTOを招聘する。このCTOは「とにかくリリースすることが大切だ」と説いて、確実にリリースするための戦略を選択した。具体的には、開発言語がPHPjQueryである。もちろん貴方は他の同僚と反発した。しかしCTOは「FacebookだってそもそもはPHPで出来てるんだ。新しもの好きが得体の知れないものに飛びついて悲惨な結果に終わったプロジェクトには枚挙に暇がない。PHPjQueryなら万が一人手が足りなくなっても、プロジェクトを継続させられるというメリットもある。とにかく、まずリリースだ」と聞く耳を持たない。おまけに貴方は諸般の事情で、この会社を退職すると二度とエンジニアとしては働けない契約になっている。これは世界的に広く認められた契約で、反発するだけ無駄である。そしてCTOは自分がVimでコードを書いていると「IDEを使ってコードの安全性を保て」とか実に口うるさい。おまけにちょっとしたところで別の言語を試しても「保守できなくなるからやめろ」と叱りつけてくる。

しかし貴方は我慢してサーヴィスのリリースにこぎ着けた。正直に嫌になって手抜きしていたのだが、新卒社員達が愚直に大量のPHPコードを書き上げたのである。しかしそんなんだから、リリース記念パーティも素直に楽しめなかった。さらにCTOはリリース完了後もそのPHPコードをいかに保守するか、新機能を追加するか、ということしか考えない。日に日にPHPのコードは増えていく。かといってそうしてリリースした新機能が好評かというとそうでもない。社の技術ブログのはてなブックマークでは「時代遅れのクソ会社。日本は終わった。運動瞑想野菜」とかボコボコに叩かれている。そこで貴方は社長他経営陣にかけあった。今は開発の現場から離れている社外取締役にも連絡を取った。貴方は訴える。あのCTOを解任して、彼をCTOにしてほしい。少なくともこの夏の書き入れ時に向けて、すこしでもコードをクリンナップしたい。開発効率の高いモダンな言語を使えば、より良いサーヴィスに今からでもできるはずだ。できなかったとしても、会社のエンジニアからのイメージは向上し、優秀なエンジニアの入社が見込める。来年度の新卒採用の最初の求人イベントには、絶対にある程度の道筋をつけて見せていきたい。経営陣も「優秀なエンジニアを揃えたモダンな会社」というイメージを必要としていたし、技術的な素養は十分あったのでPHPjQueryだらけのコードでは求人に対する応募の質が期待できないと考えていた――

さて、話を始める前に、まず僕について書こう。「いや、素人のお前のことなんかどうでもいいよ」と思うかも知れない。それは当然の反応だけれど、これは絶対に必要なことなのだ。

なぜなら、フットボールは、突き詰めると「趣味」である。そして、人は自分の好むものを高く評価する。どれだけ公平を装っていても、それは「装っている」に過ぎない。そして、そのあたりの理屈がわかっていないから、事態が悪化したと言えなくもない。僕はそう思っている。

というわけで、まず僕の好みについて書いてしまう。

まず、僕はそれなりにフットボールが好きな人だ。但し、毎週必ず何年も試合を見ている、というような熱心なファンではない。応援しているチームも、何年も結果しか見ていない、ということがある。僕が真に応援しているチームは秘密だが、これは取るに足らないようなドチャクソ弱いチームなので今回の議論に関係ないから隠させてもらう。基本的にJではガンバ大阪を長年応援している。この理由は実に明快で、遠藤保仁が所属しているからである。つまり、現役の日本人選手の中で最も高く評価している選手は遠藤保仁である。

海外で言うと、最も好きなリーグはプレミアリーグだが、一番見ていたリーグはリーガ・エスパニョーラである。これは簡単、有料放送を長年WOWOWしか契約していなかったためだ。

モウリーニョグアルディオラか、という選択肢なら、迷わずモウリーニョを選ぶ。青と臙脂より白が好きだ。メッシよりロナウド、シャビならアロンソを選ぶ。日本代表以外の代表チームなら、ドイツとポルトガルを好んでいる。強さや完成度で言えばドイツだが、ポルトガルには独特の魅力がある。

歴代の日本代表監督で最も好みなのはイヴィツァ・オシム(あ、オシムって言っちゃったね)、高く評価しているのは岡田武史だ。そして、ヴァイッド・ハリルホジッチを解任すべきではなかった、今からでも戻せと思っている。しかし、ガンバのサポータであるから、西野朗について低い評価をしていない。

さて、最初に、遠藤保仁の話をしよう。

遠藤保仁選手は、2006年のドイツワールドカップの後、2014年のブラジルワールドカップの手前辺りまで、日本代表の中心的なプレイヤであり続けた。遠藤のファンの僕が言っているのだから何割か引いてもらいたいが、日本代表のフットボールは8年ほど「遠藤頼み」だった。この名手は、独特のリズムでゲームを制御することができ、特にアルベルト・ザッケローニの攻撃的フットボールにおいて猛威を奮った。その能力の高さはサー・アレックス・ファーガソンも(お世辞もあるだろうが)認めている。十年前の伝説のマンU戦でも、低い位置から彼が自由に動くことでガンバが反撃を実現できた。

彼が高校を卒業後最初に所属したのが、今の若い人は知らない横浜フリューゲルスというチームである。彼はこの重要な時機に、カルロス・レシャックという指導者の指導を受けている。レシャックは遠藤の才能を見抜き、リーグ開幕戦でプロデビューさせている。

このカルロス・レシャックは非常に重要な人物だ。彼はそもそも世界のフットボールの一つの潮流を作っているFCバルセロナという偉大なチームの出身である。彼は世界最高のフットボーラの一人、リオネル・メッシの才能を見抜き、契約を求めた男である。

レシャックはバルセロナの選手であり、引退後はバルセロナでコーチを務めた。このとき、監督であったのがルイス・アラゴネスヨハン・クライフである。ルイス・アラゴネスはスペイン代表を2008年の欧州選手権で優勝させ、2008年から12年まで続いた無敵艦隊の黄金期を築いた今はなき名将だ。そして、ヨハン・クライフは、バルセロナに現代まで続く哲学を植え付け、イヴィツァ・オシムが希求した「トータル・フットボール」という概念を作り出したこれまた天才的なプレイヤであり指導者である。「美しく勝利せよ」と唱え「守り切って勝つより、攻め切って負ける方が良い」と言い切った、攻撃の信奉者である。

ここで改めてはっきりさせておきたい。僕はバルセロナの色、つまい青と臙脂よりライバルのレアル・マドリードの白が好きだ。筋金入りのアンチ・バルサである。そして、ヨハン・クライフを選手としては尊敬するが、人間としては大嫌いである。バルサの不倶戴天の敵、ジョゼ・モウリーニョの言葉を借りよう。「教えは乞うが、チャンピオンズリーグの決勝を0-4で負ける方法を知りたいとは思わない」「自分はゴルフに興じて安全なところから好き勝手なことを言っている」。それでも僕はこれから、バルセロナというチームがいかに優れているかを書き続ける。それがヴァハ解任の真の理由だからだ。

さて、レシャックはバルセロナを離れ、横浜フリューゲルスの監督に就任した。ここで遠藤は指導を受けている。そして、フリューゲルスの崩壊後、京都パープルサンガを経て遠藤はガンバ大阪にやってきた。ガンバ大阪で長年政権を担った西野朗は、ヨハン・クライフの信奉者である。そして、ガンバでも強烈な攻撃的フットボールを展開した。このあたりで遠藤保仁が完全にバルセロナの文脈に乗っていることがわかると思う。

また、遠藤保仁FIFA主催の世界大会で日本が史上初の決勝に進出するという快挙にも貢献している。それが99年のFIFAワールドユース選手権だ。20歳以下の選手が出場できるこの大会で、小野、本山、高原、稲本、小笠原、酒井、中田浩二といったタレントたちに混じり、遠藤も出場した。そして最後に彼らを0-4で打ち破ったのが、スペイン代表である。

そして、このスペイン代表で恐るべき実力を見せつけたのが、長年FCバルセロナとスペイン代表の心臓部として躍動した、僕の大嫌いな最高のフットボーラの一人、クラッキであるシャビ・エルナンデスだ。

このシャビという選手は、メッシやロナウドと違ってフォワードではない。純然たる中盤の選手である。得点を生業とする選手ではない。従って、どうしても目立たない。見た目もただのおっさんだ。しかし、ちょっと海外を知っているフットボールファンなら、間違いなく高く評価している選手だ。この選手がすごいのは、まずボールコントロールが猛烈に上手く、身体をどこに置くべきかという基礎的な技量が非常に高い。なにより、周囲の情報を把握して最適な位置を取ることを無意識のレベルでやってのける。これは科学的に証明されている。彼は直感で高度なフットボールの思考をやってのけているのである。そして、その技術でバルセロナの攻撃を指揮し、ボールを保持し続ける守備を成立させた。遠藤保仁の究極進化形態みたいな選手である。

人間的に僕は大嫌いだが(二度目)、とにかくスペシャルなプレーヤ、それがシャビ・エルナンデスだ。シャビはFCバルセロナカンテラーノであり、当然バルサの血が色濃く流れた人間だ。それが史上初の世界大会における決勝進出を成し遂げた、我々の代表選手たちを完膚なきまでに叩きのめしたのだ。

さて、こんな具合で若い頃から高く評価されていたはずの遠藤保仁なのに、なぜか2006年のワールドカップにはまったく出場していない。2005年にはリーグ優勝し、ヤマザキナビスコカップでもあと一歩のとこまでいったのに、である。ナビスコはジェフが優勝したからね。うふふ。なぜドイツワールドカップに遠藤は出ていないのか。単純に言うと、出る場所がなかったのである。

当時の日本代表は遠藤の得意とするボランチの位置に「中田英寿」という絶対的な存在がいた。いかに遠藤がスペシャルな選手であっても、中田英寿が相手ではどうしようもない。そして、この中田が「守備が嫌い」という特性を持っており、さらにあまり守備が得意でない(オブラート)中村俊輔という選手も前にはいた。この中村俊輔も全盛期であり、とてつもないテクニックの持ち主である。そんな状況下で守備が得意とは言えない遠藤保仁を据え付けることは極めて危険だったのである。激しい守備が持ち味の福西崇史稲本潤一がピッチ上には必要だったのだ。

遠藤保仁が日本代表に定着するのは、強奪されたイヴィツァ・オシムが監督に就任してからである。ここでいかに遠藤が代表に定着したかという話をする前に、このドイツワールドカップとオシムジャパン成立の際に今の状況を生み出した原因があるということを記しておきたい。

まず、このワールドカップの直前の欧州フットボール05-06シーズンは、FCバルセロナの黄金期の一つである。このときの指揮官は、フランク・ライカールトスリナム系オランダ人の彼は、ヨハン・クライフが監督をした時代のアヤックス・アムステルダムの主要選手である。ライカールトは、希代の名手ロナウジーニョを擁するチームでリーガ・エスパニョーラチャンピオンズリーグの二冠を達成した。この年のバルセロナは圧倒的な強さとパフォーマンスだった。アンチ・バルサの巣窟、白い巨人ことレアル・マドリードのホームスタジアム、エスタディオサンチャゴ・ベルナベウでさえ、ロナウジーニョのパフォーマンスにスタンディングオベーションを送ったのだ。当然ロナウジーニョは大会で最も注目される選手となり、ここ3大会で表紙を飾って優勝にたどり着けたのはシャビただ一人という恐るべきSports Graphic Numberの別冊ワールドカップ蹴球読本の表紙を飾ったのである。ちなみに今大会の表紙はメッシである。うふふ。

次に、この時期Jリーグにはオシム旋風が吹き荒れていた。イヴィツァ・オシムが前年のジェフユナイテッド市原・千葉を率いてヤマザキナビスコカップを制覇しただけでなく、リーグ戦でも躍動的な攻撃を見せつけていたのである。うふふ。そしてオシムもまた、前述したようにヨハン・クライフの描いたトータル・フットボールを目指すタイプの監督である。つまり、この時期には「バルサの黄金期であり、Jリーグにもバルサの風が吹いていた」と言えるのだ。

そして最後に話はちょっと違うが、重要な一件がある。この2006年のドイツワールドカップでは、組み合わせ抽選会のあとにスケジュールに変更があった。具体的には、日本のグループリーグの試合が繰り上げられていたのである。これは、日本での視聴率を考えたものだ。これにはメリットが二つある。第一に、視聴率が上がれば広告効果が高まるのでより高い広告費を稼げるというものである。もう一つは当然露出が高まるので、フットボーラを目指す子どもたちが増え、将来的な日本のフットボールの強化につながるというものである。どちらも、日本代表にとって非常にメリットである。なぜなら、日本代表が金を稼げるコンテンツであればあるほど、サポート体制を充実させられるし、高額な年俸の監督を招聘でき、親善試合に強豪を呼んだりしやすくなる。遠征費用も賄える。一方で、大きなデメリットがあった。日本代表は二つの試合を灼熱の時間帯に行わなければいけなくなったのである。

知っての通り、日本代表はドイツワールドカップで惨敗した。そしてその時、敗因を探るにあたって、この件は注目されることになる。特定の広告代理店や日本代表のスポンサ全般についての悪玉論が根強く残ることとなり、サムライブルーの現状の原因をここに求める陰謀論が跳梁跋扈する原因の一つは、ここにある。

話を戻そう。2006年夏、JFAは新たな日本代表監督を探す必要が生じた。世界のトレンドがバルセロナであり、そのフットボールに近い魅力的なフットボールを実現する男が千葉にはいた。イヴィツァ・オシムである。だからこそ川淵三郎は「オシムって言っちゃった」のだ。許さね――失礼。

ここで「いやいや、ドイツ大会で優勝したのはイタリアだろ。だったら堅守速攻に舵を切る選択肢もあったんじゃないか?」と思う人もいるだろう。結論から言えば、ない。それはこれを最後まで読めば「ないな」とわかるだろう。

さて、オシムジャパンは起動した。中心選手として遠藤保仁は投入され、その攻撃的なフットボールを育てていった。シュワーボは遠藤保仁に攻撃の土台となることを求め、彼はそれに応えた。オシムが病床に倒れるものの、その後を引き継いだ岡田武史も遠藤を重用した。日本代表の心臓となった彼は、攻撃的なフットボールを志向しながら次のワールドカップへと向かっていったのである。

一方でその南アフリカワールドカップが迫ると日本代表は不調に陥った。そこで岡田武史は戦術方針を転換し、守備的なフットボールでベスト16に食い込み、最後まで戦い抜いた。このあと、日本代表は攻撃的フットボールを志向するアルベルト・ザッケローニを招聘する。ただ、ザックの時代の話より大事なのは、この時の世界の潮流である。

南アフリカワールドカップの前々年2008年の欧州選手権では、前述した通りスペイン代表が優勝を遂げた。元バルセロナの指揮官であり、遠藤保仁に影響を与えたカルロス・レシャックをコーチとして起用していたルイス・アラゴネスはシャビなどを活躍させて魅力的なフットボールで欧州の頂点に到達した。

そしてその直後から始まった08-09シーズン、ライカールトで手詰まりになったFCバルセロナはBチームの指揮官を昇格させる。新たな指揮官は現代最高の戦術家との呼び声も高い、現マンチェスターシティ監督、ジョゼップ・グアルディオラである。このカタルーニャ人指揮官はかつてヨハン・クライフが率いたバルセロナの伝説的なチーム「エル・ドリームチーム」の主要選手である。バルセロナのレジェンドである彼は、就任一年目にしてスペインサッカー史上初の欧州三冠という偉業を達成する。これは今までに達成した監督が数えるほどしかいない大変なことである。シャビ、イニエスタブスケッツで構成された中盤から前線のリオネル・メッシにボールが供給される、攻撃的かつ魅力的なフットボールバルセロナは再び欧州の頂点に君臨した。

このチームの強さは本当に異常な水準で、何をやっても無駄と思われるほどだった。相手チームはボールに触れることすら出来ず、無力感に苛まれながらただひたすら負けていくしかないのである。

就任二年目となった09-10シーズンではスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を皮切りに、フランク・ライカールトロナウジーニョのチームが成し遂げなかったFIFAクラブワールドカップ優勝を実現した。加えて破竹の快進撃でバルセロナはヨーロッパ新記録の勝ち点99を記録してリーガ・エスパニョーラを優勝。宿敵レアル・マドリードとの直接対決、エル・クラシコでは四連勝を飾った。そしてこの年のチャンピオンズリーグ決勝は前述したエスタディオサンチャゴ・ベルナベウであった。バルセロナはライバルの本拠地で欧州連覇を飾るために準決勝に進出した。しかし、その前に巨大な「悪」が立ちはだかったのである。

ジョゼ・モウリーニョである。

このポルトガル人指揮官は、かつてバルセロナのコーチであった。独立してポルトガルFCポルトの監督に就任すると、チャンピオンズリーグを制覇しイングランド・プレミアリーグチェルシーFCの監督として参戦した。「私は特別な存在だ」と自ら言い切ったこの男は、プレミアリーグを連覇する。そしてFCバルセロナともチャンピオンズリーグの舞台で相まみえ、ヨハン・クライフの哲学に反するカウンタ主体の実利主義極まりないフットボールで勝利を掴み取ったこともあるのである。当然ヨハン・クライフはこの男が嫌いである。シャビとは友人であ「った」とされているが、今となってはその影もない。

だが、ジョゼ本人はバルセロナへの帰還を目論んでいた。しかし、バルセロナライカールトの後継に、レジェンドを公の場で批判して勝利至上主義のフットボールを展開するいけ好かないポルトガル人ではなく、伝説の選手であり人格者(とされている)カタルーニャ人を選択した。当然っちゃ当然の選択である。

そこでモウリーニョは完全にバルサキラーとして進化した。もうフォースのライトサイドとダークサイドみたいな戦いである。堅守と言えばイタリア、イタリアのインテルナツィオナーレ・ミラノを率いたモウリーニョは就任一年目でセリエAを制覇して、二年目のチャンピオンズリーグ準決勝でペップ率いるバルセロナと決戦の刻を迎えた。この戦いでモウリーニョは「ゴール前にバスを止める」泥臭く無様な守備を見せた。それによって見事復讐を果たし、欧州三冠を達成したのである。

この直後に行われたのが、2010年の南アフリカワールドカップだったのだ。

その決勝では「ゴール前にバスを止めた」オランダを粉砕してスペインが優勝した。8人のバルセロナの選手であり、うち7人がバルセロナの下部組織出身の選手であり、うち6人がスタメンとなったスペイン代表のパスサッカーが、2010年をモウリーニョの年にさせなかったのだ。スペインが世界の頂点に輝いたのだ。それはバルセロナが世界の頂点に輝いたと言っても良い栄光だった。イヴィツァ・オシムは「スペインが勝って本当に良かった」などと言っている。このままだと「ワールドカップに勝つには守りまくるしかない」という方程式が成立するところだったのである。

さて、FCバルセロナ相手に四連敗を喫しているレアル・マドリードはここで監督にジョゼ・モウリーニョを迎えた。白い巨人は長年不振に陥っていた。09年に世界最高の選手クリスティアーノ・ロナウドを招聘するもタイトルを持っていかれており、なんとしても結果が必要だったのである。

ワールドカップの後、リーガ・エスパニョーラの狂気のシーズンが開始された。バルサもレアルも、一敗どころか一分でもしたら優勝を逃すかもしれない、というとてつもない緊張の中、戦った。

しかしその最初の直接対決であるエル・クラシコで、あろうことがモウリーニョバルセロナに0-5で負けた。攻撃的にいったモウリーニョ・レアルは、ペップ・グアルディオラの前に簡単に屈したのである。さらに、フットボール界もモウリーニョのやり方に大きなNoを突きつけた。欧州三冠を獲得し、ワールドカップ準優勝の立役者となったウェズレイスナイデルは最優秀選手の最終選考にすら残らず、国内リーグを取っただけのリオネル・メッシが最優秀選手に選ばれたのである。モウリーニョ本人は最優秀監督となったが、最優秀選手選考の異常さを多い隠せるものではない。

こんな流れの中、代表の舞台で攻撃的なフットボールを描いて地域の頂点に立ったチームがある。我らがサムライブルーである。このとき、世界のフットボールは堅守速攻にポゼッションフットボールが勝つという流れになっていた。そんな中、堅守速攻でワールドカップで予想外の好成績を残した日本が地域を制したのだ。攻撃的なフットボールに進化して。これが当時「日本はアジアのバルセロナ」と呼ばれた所以である。

その後、モウリーニョレアル・マドリードは数々のファウルと誤審主張、そして乱闘騒動を起こし、レアル・マドリードの名声を地に落としていくことになる。レアル・マドリードは国王杯を獲得したものの、所詮これはカップ戦にすぎない。バルセロナレアル・マドリードリーガ・エスパニョーラチャンピオンズリーグで下して二冠を達成した。最早堅守速攻をポゼッションフットボールは上回るという方程式が確立されたのである。

さらにこのシーズンの後、女子ワールドカップなでしこジャパンが頂点に輝いた。この年の女子最優秀選手が澤穂希となったことはご存知のとおりだが、ここでグアルディオラは「我々以上だ」となでしこジャパンを称賛している。

この歴史的成功がイヴィツァ・オシムの掲げた「サッカーの日本化」を「バルセロナフットボールの再実装」として定着させた。世界最強かつ最高の評価を得ているチームに近いとされたのだから、これもまた当然の流れと言えよう。あとでまとめるとして時計の針を進めよう。

そして、次のシーズンがやってくる。2011-12シーズンである。この年のリーガ・エスパニョーラも各エースの得点数は年間40点を超える(試合は37試合である)という常軌を逸したシーズンとなった。この消耗戦の前にペップはバルサを去る決断をすることになった。そしてモウリーニョ自身は世界三大リーグ優勝という偉大な記録を達成するものの、チャンピオンズリーグでは敗退し、国王杯はバルセロナが獲得する。この時点でも世界の潮流は変わらなかった。なぜかはこれもあとで説明する。このシーズンを終えた後の欧州選手権でもスペイン代表は躍動し、欧州選手権連覇を飾った。

このころからサムライブルーには一つの大きな問題が出てきた。それが、遠藤後継者問題である。

サムライブルーが「アジアのバルセロナ」と呼ばれるようなポゼッションフットボールを実現する鍵になっていたのは、遠藤保仁である。このバルセロナのコーチから直接教えられたヴェテランMFは、言わばサムライブルーガンバ大阪におけるシャビ・エルナンデスであった。この選手が不在になると途端にチームの攻撃は停滞し、攻撃的フットボールを演出できなくなってしまうという問題が顕在化してきたのである。しかし、このMFも既に30代に突入しており、ブラジルワールドカップで主戦力とするにはあまりに不安があった。

これに対してJFAや強化委員会が無関心であったとはとても思えない。少なくとも、遠藤の後継者という話は、国内サッカーメディアでは俎上に上っていた。そして未だに日本のフットボールはこの問題を解決できないままなのである。そして、それは「自分たちのサッカー」をするにあたって極めて重要な問題である。遠藤保仁という「日本サッカーのバルセロナ化」を実現するキープレイヤを喪失すれば、当然その目的は達成できなくなる。

しかしまだまとめに入るには早いので、時計の針を進めよう。次のシーズン、バルセロナはまたもや重要な記録を達成する。リーガ・エスパニョーラという世界最高峰といっても差し支えないリーグでの試合で、全選手を下部組織上がりで揃えたのである。これはまさにバルセロナというチームの一つの到達点であった。

現代フットボールの強豪チームは、移籍市場で有力な選手を引き抜いてきて戦力を揃える。その極地が金満クラブのレアル・マドリードである。対する選手を育て、戦術を育てる育成のバルセロナには、到達点と言えるだろう。さらにここには歴史的な背景もある。バルセロナというチームはスペインのリーグに参戦しているし選手はスペイン代表である。しかし歴史的背景と彼らの魂はいまのスペインという国家に帰属していない。バルセロナカタルーニャ自治州のチームである。こういった民族や地域との強い結びつきはリーガ・エスパニョーラでは珍しいことではない。リーガ・エスパニョーラアスレティック・ビルバオというチームは、すべてをバスク人で揃えるバスク純血主義を貫いている。バルセロナカタルーニャの独立を象徴する存在でもある。すべて自前の選手という状況が、どれだけその象徴としての力に影響を与えたかは想像に難くない。

この一年後、バルセロナで一時代を築いたペップ・グアルディオラはドイツに渡り、強豪バイエルン・ミュンヘンの監督に就任した。2013-14シーズンの出来事である。前年欧州三冠を達成したバイエルングアルディオラの下で躍動し、カップ戦を連覇、リーグ戦も最速優勝を飾る。しかしチャンピオンズリーグではジネディーヌ・ジダン率いるレアル・マドリードの前に屈して連覇に失敗する。だが、バイエルンの選手たちを主軸としたドイツ代表はブラジル代表を殲滅し、初の欧州チームによる南米開催ワールドカップでの優勝を飾った。この時、ドイツ代表は熱風吹き荒れる王国で勝利するために、持ち前のポゼッションフットボールを諦めて運動量の少ない戦術を採用している。

この大会で我々のサムライブルーは完全に叩き潰され、攻撃的フットボールから舵を切ったのもご存知であると思う。この現実主義の導入には「あの最強ドイツでさえワールドカップでは舵を切るのだ」という文脈があったことは想像に難くない。そして、この後ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が就任し、遠藤保仁サムライブルーを去る。結局、彼の後継者は未だ現れていない。

こうしてここ12年のフットボールの潮流と日本代表の関わりをざっと話してきたのだが、いかにFCバルセロナというチームとその哲学がフットボールの世界において重要な要素になっているかわかるだろうか。アンチ・バルサの僕が話してこれなのである。クレに言わせれば八倍の量に十六倍の称賛を込めて喋るだろう。チャンピオンズリーグやワールドカップ、欧州選手権という戦術見本市でバルセロナは存在感を示し、その正当なる後継者であるペップ・グアルディオラは今もフットボールの世界において重要な位置にある。

そしてここが肝心なことなのだが――「少なくとも」日本のフットボール関係者は猫も杓子もほとんど全員と言えば言い過ぎだがとにかく大勢がFCバルセロナが大好きであり、特にペップ・グアルディオラ率いた時代とペップ・グアルディオラが大好きなのである。

例えば、ヴィッセル神戸のメインスポンサである楽天は、バルセロナのメインスポンサでもある。香川真司を育てたクラブチームはFCみやぎバルセロナというチームだ。昨シーズンのJを制した川崎フロンターレを育てた風間八宏は「ボールを支配すれば点は取られない」というクライフイズムの信奉者である。今、名古屋何位だったかな。夕空のクライフイズムなんてマンガもある。スカパー!サッカー中継でおなじみ、家電量販店でゴジラの襲撃を受けたクラッキーこと倉敷保雄が好きなチームはアヤックス・アムステルダムバルセロナなどであり、どちらもヨハン・クライフが深く関わっているチームだ。ある調査によれば日本で最も人気のある海外のクラブチームはACミランだが、これは調査時期に本田圭佑が所属していたからである。二番目がバルセロナだ。現在に至るまで、カンテラ所属であった久保建英を除いて日本人の所属選手は存在しないチームだ。

WOWOWにおけるリーガ・エスパニョーラの中継では10-11シーズン、岡田武史が一部試合の解説を担当していた。この解説の岡田武史は「いかにペップ・バルサが素晴らしいか」を語るだけのスポークスマンのような具合であった。日本代表の中継を民法で見ていたら、応援おじさんみたいなのが出てくるだろう。あのノリで他国のリーグ戦で一方のチームを称賛する岡田武史が登場していたのである。実況もそうなのだ。11-12シーズンのレアル・マドリードが優勝を決定づけたエル・クラシコでは、バルセロナの攻撃の勢いが増すと実況は「さあバルサの時間がやってきた!」と嬉しそうに絶叫した。しかし、数秒後にロナウドのカウンターを喰らうと彼は意気消沈する。当然、日本中のマドリディスタからは嘲笑われた。日本代表の試合ではない。異国のクラブチーム同士の戦いである。にも関わらず明確に片方に肩入れした実況や解説が平気で行われていたのである。

「銀河のワールドカップ」という小説がある。これは、小学生たちがレアル・マドリード(みたいなチーム)に制限されたルールで挑むというフットボールの小説である。このタイトルは、この小説が書かれた当時レアル・マドリードが世界的な人気を誇っており、銀河系軍団と呼ばれていたからつけられたものである。この小説は2012年に「銀河へキックオフ!!」というタイトルでテレビアニメ化された。この作品の終盤ではプロの世界選抜チームが登場するのだが、粗暴な行動を働くレアル・マドリードの選手「みたいな」選手をメッシ「みたいな」選手が諌めるというシーンが存在するのである。元々レアル・マドリードをリスペクトしていた作品なのに、気付いたらバルセロナプロパガンダみたいな作品になっちゃったのである。

さて、なぜヴァイッド・ハリルホジッチが解任されたのか、ここまで説明してきた事実があればもうおわかりだろう。

ヴァイッド・ハリルホジッチは、遠藤保仁の後継者を発見できなかったのである。それどころか、バルセロナのようにチームワークで崩していくスタイルではなく、バルセロナの寝首をかこうとするモウリーニョのような姑息でずる賢いフットボール固執した。さらに選手たちにはバルセロニスタから忌み嫌われるフットボールマシン、クリスティアーノ・ロナウドの肉体を示してその身体を模倣することを要求した。このあたりのズレがすべて入り混じり「コミュニケーション不足」としてまとめ上げられたのである。

つまりだ。これだけいろんな局面で伝えてきた、歴史が示している、日本が目指しているフットボールをまったく理解しようとしなかった、というのが「コミュニケーション不足」の実態なのである(予想)。

そして大問題なのは「自分たちのサッカー」は完成すれば本当に強いということであり、さらに実現するためには長い年月をかけて継続的に強化する必要があるということである。「とりあえずワールドカップではそれなりの成績残したいから堅守速攻をやって」とかやってるわけにはいかないのである。そして日本は珍しく代表チームが一番人気のある国なので、代表は日本のロールモデルになる必要がある。代表がバルサ化する道筋を演じることで、Jのスタイルをバルサ化していく、それが必要なのである。

ワールドカップを失ってでも手に入れたいという気持ちを否定できない、それがペップ・バルサの魅力だ。

今、自前で録画していなければ正当な方法で見ることができないので残念だが、ペップ・グアルディオラバルセロナは敵のチームからしたら悪夢のような強さを誇った。格の違う強さを見せつけていて、決して「この大会はトーナメントで、今日は運が悪かったよね」みたいな負け方でないのだ。まったく勝ち筋が見えない、そういう勝ち方だったのだ。ドイツワールドカップでブラジルに日本が負けた時、「ああ、日本の選手のクオリティはここに追いついていないんだな」と感じたかもしれない。「どんなに上手く行っても向こう四大会ぐらいは本気のブラジルとは勝負にならないな」とか思ったかも知れない。だが、ペップ・バルサとの戦いで負けるということは、そういう負け方ではまったくない。次元の違う負け方をする。格闘技の大会に、装弾して安全装置を解除したサブマシンガンを持ち込んで来られる感じなのだ。それがペップ・バルサを相手にした状態なのだ。だから、JFAなどがそれを求めることには一定の納得感がある。 

おまけに、その流れのフットボールで女子日本代表は世界を制しているのである。男子はアジアを制しているのである。レ・ブルーを撃破し、アッズーリを追い詰め、レッドデビルズをナーバスにさせたのだ。そして遠藤保仁不在でもそれを成し遂げる自信があったか、成し遂げられなくてもつないで行きたいのだ。アンチ・バルサの僕でも、その思いをとても全否定する気にはなれない。だってめちゃくちゃ強いんだから。

ここから陰謀論をさらに二つ提示しよう。

一つ目。なぜ「コミュニケーション不足」の裏側や、その後にポロポロと出てくる不穏なコメントや思想について「バルセロナのようなチームを日本はずっと希求しているから」という話があまり出てこないのか、という話である。それはもちろん、日本のフットボール関係者の大勢がFCバルセロナの大ファンだからだ。「バルサの真似なんかやめちまえ」とはとても言えない。繰り返すがそうなってしまうほど、バルセロナというチームは強く偉大で優れたチームなのだ。この感覚は代表戦しか見ない人には、多分わからないと思う。フットボール専門誌の多くが戦術を語る時、バルセロナペップ・グアルディオラが除かれることはない。もちろんグアルディオラは特別な戦術家であり、極めて輝かしい実績を持っている。けれども「少なくとも」日本のフットボール専門誌におけるペップ・グアルディオラの扱いは別格である。グアルディオラがいかに敵を粉砕してきたかは滔々と語られても、彼がいかに策に溺れて敗北を喫したかという話は殆ど掲載されない。無様に敗北した試合が忘れ去られることもしばしばである。僕が最初に自分の好みを書いたのはこれが理由だ。すべてのフットボールに関する批評記事は、その書き手の好みを踏まえて読まなくてはならない。

二つ目。「自分たちのサッカー」でワールドカップに勝っていくためには、まずワールドカップを経験した「自分たちのサッカー」を実現可能な指揮官が必要である。これはアルベルト・ザッケローニがワールドカップ本戦になった途端落ち着きをなくしたこと、ワールドカップを経験したことのある岡田武史がワールドカップで好成績を収めていることからも重要な要素だ。そこで白羽の矢が立ったのが西野朗だったのだ。おそらくロシアワールドカップで重要なことは「西野朗にワールドカップを経験させること」あるいはその周囲の誰かにワールドカップを経験させることにある。負けることはハナから織り込み済みだ。そしておそらく大して気にしていない。なにしろヨハン・クライフの哲学である。「守って勝つより攻めて負けるほうがマシ」なのだ。おそらく、だからこそ田嶋会長は「攻めのカード」としてハリルホジッチ解任を決断し、その真相を伏せ続けているのである。負けても構わないのだ。そこに彼らの真の勝敗条件は存在しない。覚悟を決めている。

ところでこの哲学、聞いたことがないだろうか。そう、玉砕の精神である。

フィリップ・トルシエは此度の監督交代騒動の裏に「ナショナリズム」があると評した。それを「日本の戦前から続く国粋主義の文脈にある」と想像している人も多かった。が、それを持ち出さなくても「ナショナリズム」の正体は十分に説明可能だ。FCバルセロナ自体が、玉砕主義、理想主義といったものを揃えた存在だからだ。すべてはバルサにある。また「チームワークで勝利する」体格に劣るカタルーニャ人などが技術と助け合いの精神を持って、体格に勝るゲルマン人などに勝利するという筋書きを日本人は好む。それは講道館プロパガンダ小説である姿三四郎の時代から続く、一つの日本の文化である。しかし、ヴァハはそれを全否定した。放棄して、いかにバルセロナを陥れるかという戦術にこだわり続けた。ワールドカップ出場が決まったあとも考え続けた。「コミュニケーションの問題がある」と解任されて当然だったのである。

最後に僕の率直な気持ちを述べよう。こんなことになったのは、そもそもお前らが最初にオシムを強奪したのが原因である。オシム遠藤保仁の才能を開花させなければ、こんなことにならなかったのだ。オシム返せ。はよJ1に帰りたい。ところで誰かヴァハの電話番号知りませんか?

UEFA Champions League 2017-18 Final - Real Madrid C.F. vs Liverpool FC

ワールドカップへの期待が高まる中今年は久々に生中継で見ましたチャンピオンズリーグ決勝。レアル・マドリードリバプールを制して三連覇となったわけですが、まあちょっとレビューを書いてみようと思います。これで評判が良ければワールドカップでも書くかもしれません。

記憶に頼って書くので間違いあったらごめんなさいね。

えーと案の定というかなんというか、実況のリバプール贔屓のすごいこと。まあそうですよね、バルセロナ=ペップ様を破って決勝に出てきたわけですから、リバプールに勝ってもらわないと困るわけです。ロス・ブランコスを倒してもらいたい気持ちはわかります。ペップバルサ時代のWOWOWの実況解説の贔屓っぷりもすごかったですが、今日のもすごかったですね。ただ、こういう実況解説をされると僕のなかに眠っているマドリディズモが目覚めてしまい、勝ってよかったと思うわけです。あんまり気分のいいゲームではありませんでしたが。

さて、おそらくリバプールのゲームプランは、クロップらしく前線の高い位置からプレッシャをかけてボールを奪い、早い時間帯に点を取りたいというものだったと思います。かなり圧の高いプレスがかかっていて、非常に厳しいものになっていました。

ではなぜこれが上手く行かなかったのか、という話だと思います。非常にいい感じで攻めてはいる、しかしなかなか決定的なものにならない。それはレアル・マドリードの経験、とりわけ、ラファエル・ヴァランという18歳のときからおっさんみたいなプレィをしているセンタバックがよく作用していたのではないでしょうか。

3:30あたりのヴァラン、4:00あたりのラモス、5:10あたりのモドリッチ、5:40と6:30あたりのヴァランと、かなり早い時間帯にヴァランを中心に読んで読んで読んで、最後の一枚を割らせなかったんですね(雑なメモが残っているだけだし、クソ眠いのでヴィデオ確認してません)。最近ポジショナルプレィつまり逐次個人位置最適化とかが評判になっていますが、ヴァランが非常にいい、守れる位置にいたので点を取られなかった、これが大きかったと思います。このあとナバスがセーブしなければならない状況が生まれたんですが、序盤の高い圧力をディフェンスの選手で凌げたということが大切なんではないでしょうか。

これが同じ無失点であっても、キーパが奮戦したという話だと雰囲気は悪くなるので。

ジダンだってリバプールが最初に高い圧力をかけてくるのはわかっていたと思います。それをいかに受けきるか、という話を非常に上手く達成したと思っています。圧力をかけるということは脚を使うということですし、その中で点が取れれば足が止まってきますからね。だからこそモドリッチがあそこまで守備に奔走し、攻める時はベンゼマロナウドのふたりでなんとかしなさいというシステムにしたのでしょう。先日シャビに散々ディスられて、カゼミーロが怒ったアレです。しかしカゼミーロは怒り甲斐がありましたね。

あとまあマルセロはほっといても上がっていっちゃいますしね。で、後半にベイルを入れて点を取ろうという作戦が見事成功したんじゃないでしょうか。ベイルに守ってね、というより、イスコに言ったほうがいいような気もしますし。

実際のところ、実況は必死にリバプールが押している押していると言っていましたが、パスの数や成功率を見てもレアルが上手く試合をコントロールしていたと思います。フットボールは陣取り合戦ではありません。いくらボールを保持して前に進んでいても、それが上手く受けられてしまえばゲームを支配しているということにはならないのです。レアルは低い位置で細かくパスを無駄に回すことで、ゲーゲンプレッシングを疲労の時間に変えていきました。リヴァプールにはああいうときに一旦自由にさせて、奪えるところで襲いかかる、みたいな巧みさがほしかったと思います。

クロップはカードを切れなかったですが、早い時間帯に点を取ることに失敗して、皆が脚を使い切ってしまっていたら、できることはないと思います。ここでじっくりボールを保持して回復を待てるような選手が揃っていればよかったんですが、そうではありませんから……。

しかしこのゲーム、ペップ・グアルディオラを教祖に据えたフットボール界の最大勢力にはまったく評価されないでしょうね。うふふ。

まあ、レアルのパスは非常に雑なものが散見しました。もちろん「おお、さすがリーガ」と言わんばかりのスパッと決まるようなシーンもあったんですが、全体的に「ああ、これじゃあリーガであの成績だわ」と思わされるものでした。ロナウドも、最初に良いクロス挙げたりとか、幻の先制点とかはよかったんですが。あと乱入者のせいでめちゃくちゃですわ。あのときの実況は青嶋アナウンサに全面同意します。

あと、モハメド・サラーのけがについてセルヒオ・ラモスを無関係な事件と絡めておちょくるような輩は恥を知れと思いますね。全方向、すべてを侮辱している。そのあたりも含めて、気分のいいゲームではありませんでした。サラーもカルバハルも軽いけがであることを祈ります。

リズと青い鳥 良かったところの感想

リズと青い鳥の二回目を観てきた。今日は初めて川崎チネチッタのLIVE ZOUND上映を楽しんできた。僕はあまりネットの映画館の評価と合わない。例えば、評判のいい立川の極上爆音上映は耳が痛くてガルパンの映画を僕は耳をふさいで見ていた。けれども、LIVE ZOUND上映は非常に楽しむことができた。非常に聞きやすい音だった。行ってよかったと思う。設定集も買えた。

先日書いたリズと青い鳥 感想は久し振りに大勢の方にお読みいただけたようで、嬉しいかぎりである。

しかしブコメで、id:reijikan氏に「良いところの感想も読みたい」と言われ、id:spicychickenlike氏に「粗探しばっかり」と煽られ、id:synonymous氏もそれに同意されているようだから、よかったところを書いていこうと思う。

ただ、はっきり言っておきたいのは、粗探しはしていないということだ。初めてみる映画を眺めていて引っかかったところを記しただけだ。そしてそれは、良い映画を傷つけたと感じているところだ。ピクセル等倍で写真を眺めてわずかなピンずれや色収差を殊更に騒ぎ立てたわけではない。なんかこれ撮像素子に4つぐらいデカイゴミついてるよね、青空が綺麗なのにめっちゃ目立つよ、ちゃんと掃除するなりレタッチしろよ、という話である。粗探ししようと思えばたくさん見つかる。もちろん、好みではないから、やらない。

さらに良いところも書いた。ただ、ざっくりとしか書かなかったのは理由があって、それは自信が持てなかったからだ。見終わってから、ざっと感想を眺めたところ、僕とは全く違う映画の捉え方をしていた人が大勢いた。だから、トイレを我慢しながら観ていたし、何か勘違いしたのではないかと思ったのだ。

今日はそれなりにちゃんと追えたので、細かい見落としはあるかもしれないが、よかったところを書いていきたい。ただし、そんなわけなので、多分みなさんが「うんうんそうだよね」と同意して安心できる感想ではない。端的に言えば、不愉快になるかもしれない。どうやら、僕が普通じゃない見方をしてしまったらしい。

で、だから監督の意図と多分違うし、監督の意図を読むべき正しい読み方に従うべきだ解釈とはただひとつ正しい解釈があるんだみたいなハックルおじさん主義の人は読まないほうがいいですよ。忠告しましたからね。それでも良いなら読んで下さい。

僕はこの映画は、傘木希美という一人の少女の描き方が素晴らしいと思っている。この少女には、珍しい実在感があって、その心理が非常によく描けていると思ったのだ。

その心理描写を一番感じたのは、最初の登校シーンである。映画の始まりのあたりってどうしても記憶しづらい変わった性分なのでアレなのだが、多分希美はみぞれをほとんど気に留めずに通り過ぎていく筈だ。にも関わらず、羽根を見つけたら突然話しかけ、拾って彼女にわたしてやるのである。そして、妙に演技じみた話しかけ方をするのである。

(このあたり事実誤認と言うか書き忘れがあったので修正)

僕はこれを観た時「あ、やっぱりそうなんだ」と思った。そう、というのは希美にとってみぞれは負担なんだ、ということである。どうしようもない友人なので、そういう友人に対する特殊な距離感を取っている、という具合である。距離感を詰めなきゃいけないんだけど、実はあまり積極的にしたくない、みたいな揺れ動きだ。

どうして「そう」捉えていたかは、テレビシリーズから追うとわかりやすい。好きではないので放送時一度しか観ていないから、何か間違っているかもしれないけど、だいたいこういう話だ。

傘木希美という子が中学の吹奏楽部に所属していて、フルートを担当している。中学は吹奏楽のそれなりの強豪校で、フルートも親に買ってもらった。鎧塚みぞれという子を誘い込み、その子はオーボエを担当して、友達になった。ところが中学最後の大会で不本意な結果に終わり、高校でのリターンマッチを企図して、先輩方も多く進学している北宇治高校に入った。みぞれもくっついてきた。

ところが、その北宇治高校では、三年生がやる気がなくて、部活が成り立っていなかった。それに腹を立てた希美は退部を選択する。しかし、次の年はまともな顧問がついて、部がきちんと活動しはじめた。そこで希美は復帰を決断する。

ここまでは多分皆の見立てとあっていると思うが、僕はその先の話をこう捉えている。希美は自分が復帰するときに、自分が「虫が良い」と思われることが怖かった。復帰した北宇治高校吹奏楽部の面々が快く迎えてくれるかどうかは微妙である。去年の実績からしたら、北宇治吹奏楽部の女というのはやりはじめたら極めて陰湿だとわかっている。そこで希美は部長以上に人望があるあすかを味方につけることを画策した。ところがそのあすかは、私の許可なんかいらないと言い、しかし反対であるといい続けた。

その後は希美にとっては悪夢のような展開だったろう。虫が良すぎると陰口を叩かれるどころか、ソロ担当者のメンタルケアつまり部活の成功に関わる問題を背負わされたのだ。自分が嫌だから出て行くときに、そのプライドに付き合わせるのは悪いと思ってみぞれに黙ってやめたのに。嫌な先輩もいないし、困ってないし、みぞれは好きにやってればいいじゃん。相談したってみぞれが事態の打破に役に立つことは期待できないのだから、むしろ黙って辞めるのがベストの選択肢だったはずだ。

地獄の展開は続く。みぞれは自分に依存することでその能力を発揮し、部は全国大会に進んだのである。つまり、部の目標達成は自分がいかにみぞれのご機嫌をとるかということにかかっているという状態が事実上成立したのである。さらに、その状態を皆が是としたのだ。次期部長格の優子はその状況に追い込んだ張本人である。もはやあすかという存在がいなくなっても、中学の時成し得なかった最後の戦いで勝利を収めるという自らの目標を達成するには、みぞれのご機嫌をどうとるかが至上命題になったのだ。

それでもまだ希美が水を運ぶことを得意とし、好む存在であれば問題は小さかった。ところが、傘木希美は自らもフルートの名手であり、まわりからもみぞれと共に木管のダブルエースとして認められていたのである。

ワールドカップで得点王に輝いたにもかかわらず、バルサではリオネル・滅私メッシ奉公を強いられることになったダビド・ビジャのような立場に希美は立たされた。そしてその苦境を理解する人間は誰もいない。さらに輪をかけてひどいのは、このみぞれという友人がほとんど意思表示をしない、察してちゃんのオリンピックでメダル争いに絡めるような存在なのである。授業に参加しないことが先生からも事実上許されるようなお姫様なのである。

やってらんねー。

しかし傘木希美はとてつもない大きさの度量の持ち主であり、人気者になれる人格者だった。だから、校内のほぼ全ての場面において明るくて優しくてフルートの名手の人気者であり、親友のみぞれと仲良く一緒にいる、という存在を演じ続けたのである。しかしそれが偽りの関係であると映画は最初のシーンで描いてしまった。そしてその微妙なズレが大きくなり、崩壊していく様を描いていく。

この状態の描写の成功に強く寄与したのが種崎氏と東山氏を始めとする声優陣と高い演技力だ。種崎氏が生っぽい落ち着いた演技をし、脇を固める声優陣も高い技量で同質の演技をするので、東山氏の「人気者を演じているのではないかと疑いを持てるような微妙な演技」が際立ったのだ。偽りの人気者希美の驚きと、本当の高校生希美の驚きを微かだが明確に差異をつけて描く演技を、はっきりさせたのだ。

また、音響もいい作用をしている。最初の構内を歩くシーンでは、足音がまるでハイヒールを履いているかのような硬質な音だ。一方「パート練行ってくる」と駆けていくとき、その音は上履きの音だ。希美にとってはみぞれといることが極限の緊張感で、パート練にいくときは救われているのだ。

さて、この後希美は様々な形でみぞれとの距離感を測ったり、広げることを画策する。自分が後輩たちとファミレスに行くことを伝え、やんわりと君もパートの子と仲良くしなさいとかやってみる。ところが全然うまくいかない。離し過ぎて調子を落とされても困るからプールに誘ってみると、他の子も連れていきたいと言い出すからちょっと安心する。

そんな中みぞれが音大行きのパンフレットを持っていたので希美は言ってみたのだ。私音大行こうかなあと。これは希美にとっては期待だった。あのみぞれが自ら音大行きを考えはじめたのだから、回答は最低でも「希美も受けるの?嬉しい」だと思っていたのだ。しかし現実は残酷で「希美が受けるなら私も受ける」だったのである。

練習中、希美はもっとみぞれの声を聞け、手を差し伸べてやれとも言われてしまう。もう八方塞がりどころの騒ぎではない。制空権も奪われ、立っているのは汚染土の地雷原。詰んでいる。

この絶望ばかりの状況で、希美が明確にリラックスして話すシーンがある。それが夏紀との教室での会話だ。いつも背筋を伸ばして相手をまっすぐみて明るくハキハキ喋る希美が、このときは背中から力を抜いてしなだれながら話すのだ。この時点で夏紀は「ダブルエース」と言ってしまう。しかしそれに対する希美の反応を見て、夏紀は事態のマズさに気づいていく。

一方優子は部長であり、部活の表面の取り仕切りで処理能力を使い尽くしており、全然希美の状況に思い至らない。夏紀もマズいとはわかっているけれど打開策がないので状況を強いることになってしまう。そこで希美は麗奈と久美子の戯れを見て思う。

なぜ自分達はあんな関係になれなかったのかーー

もう勝手にしやがれ。吹っ切れた希美は自分は普通大学に行くと言いだし、みぞれにも言ってないという。ところが優子は部長職に精一杯なので、表面的な友情しか見ていない。彼女の批判に事態を察した夏紀は、なんとかクッション役になることを試みる。

「でも今は」とみぞれと希美の声がユニゾンする。そして「たくさんの鳥」が飛び立つ。二人の間に残されていたお互いの確かなものだった音楽における認識も、決定的にズレたのだ。解釈が発散してしまったから、たくさんの鳥がはばたく。

今まで青と緑、黄色、と僅かなオレンジ、そして明度の高い明るい色で彩られていた世界が、紫色に深く染まる。丘で希美は一人佇んでいる。夏の風が吹く場所で。どうして世界はこんなに美しいのに、自分は、と。

僕はこのカットが一番好きだ。鮮やかな色彩が今まで積み重ねてきた絵によってさらに際立っている。ここまでの絵作りが報われるシーンだ。希美の心象がよく描かれている。ポスタにしてほしいと思っている。

練習においてみぞれは言い出す。第三楽章を通してやりたい、と。その演奏を聞いて希美は悟ったのだ。「自分のことを考えずに自由にみぞれはやるようになった、もう大丈夫だ」と。涙が流れたのは、これで開放されるという喜びもあるだろうし、それでも今までの努力を誰も認めてくれないのだという絶望もあるだろう。一言では言い表せない涙がそこにある。

このシーンでキャラクタデザインの変更が効いてくる。TV版のデザインだと、どうしてもみぞれがオーボエを吹いていると「おもしろい顔」になってしまうのだ。しかしここでおもしろい顔になってしまっては困るのだ。その理由はこのあとわかる。

皆がみぞれの周りに集まり、希美はああ、こうして捨てられていくのだな、と気づく。誰よりも部活のために自分を殺して来たのに。

それから、彼女は生物学室で一人佇んでいる。そっとしておいてほしかったところにみぞれがやってきてしまう。

そしてみぞれは彼女に抱きついて言うのだ。これで終わったと思うなよ、と。永遠に閉じ込めてやる、と。二人の間の絆は文字通り絆、家畜を拘束し逃げることを防止する道具だったのだ。この作用のためには絶対に「オーボエ吹いてるおもしろい顔のみぞれ」ではこまるのだ。愛した人を呪い殺す幽霊の表情である必要がある。

死んでいく希美の目。最後に「みぞれのオーボエが好き」と言ったのは、それでもその演奏だけは好きだったからだ。

なぜ自分が吹奏楽部に誘ったときのことを覚えていないと嘘を言うのか。決まっている。「あんなこと言ったばっかりにとんでもないことになってしまった」からだ。そして、そう思っているからだ。だってみぞれのオーボエはそれでも好きなんだもの。嫌なことだから忘れたことにしたいのである。

人間ってそういうものではないですか?あいつは好きとかそんな簡単なもんじゃないですよ。ああいうところはこうしたいけどでもまあがまんしてこれさえとれればいいやとおもっていたけどそれにもしっぱいしてあれなんでわたしそもそもこんなことしちゃったんだろうああでもそれかんがたらいやなやつだなでもじぶんがいやなやつかどうかよりじぶんがしあわせかどうかではみたいな感じできれいに切り分けづらいものではないですか?そういう実在感がこの映画の傘木希美というキャラクタには存分にあって、そこをしっかり描いているから、良い映画だと思っているわけです。

煉獄の中で希美は生きていく。青い鳥はカッコウだったのだ。落とされた自分は問題集を解いて今後の人生を生きて、なんとか這い上がってコンクールに間に合わせるしかない。でもまあそんなことだから、多分北宇治は今年のコンクールでろくな成果を出せないであろう。最後の最後で守りたかった願いも潰えた。その最後の表情が見えないのも簡単だ。そんなもん観客見たかねえよ。

って言う風に僕は初見で見ていたので「確かにこりゃ絶望だし泣くわ」と思ったのである。これホラーだよ。だから山本寛監督が「三途の川を渡った」「厭世観」とか言った理由もなんとなくわかったのである。

ほらねー?良かったところなんか書かないほうがよかったでしょう?ただ、そうすると前回僕が批判したところもよりなんで批判したか伝わるかも。

聲の形の感想も大分書けてきたからそろそろ上げるし、またなんか思いついたらTwitterにも書くので、よろしくお願いします。