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六月の開発局

「業界の人」じゃないよ

岬にて

平日朝に聞く新幹線E5系電車Motor Soundは格別だ。それが遊ぶための旅路なら心はさらに軽やかに踊る。

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初めてE5に乗車したのはもう3年前の夏になる。夏休みに青森でも行くかと友人と乗ったのだ。320km/hの速度はもちろん、その快適さに舌を巻いた、と書きたいところだが、新幹線の快適さはよく知っていた。

E5は普通席とグランクラスに乗ったことがあるが、グリーン車はまだない。近いうちに試そうと思う。素敵な女の子と一緒だったりすると、良いのだけれど。まだ、異性と新幹線で旅行したことはない。修学旅行を除けば、だが、もちろんその修学旅行だって異性との絡みなどない。

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久々に朝一の新幹線で旅に出たので、東京駅の駅弁屋「祭」にはたくさんの駅弁が並んでいた。これから向かう先のことを考えると、自ずと選択肢は限られる。「きつねの鶏飯」名付けられた駅弁は黒胡椒が効いた、薄味で美味い駅弁だった。お茶によく合う。

寒さに高をくくって来て、少し寒い思いをしている。このままだと風邪をひくので恥を忍んで上着に肩を潜り込ませ、飛んでいく景色を見ていた。遠くに孤独に聳え立つタワーマンションは古河の駅前のものだという。

東京駅から厳かに走り出す最高速度110km/h、大宮駅から本領を発揮し始める275km/h、宇都宮駅手前から再加速して迎える320km/h、盛岡駅から穏やかに迎える260km/h、どれもが東北新幹線の速度で、一歩ずつ進んでいくことや出来る限りのことをしていくこと、無理をせず現実を積み重ねていくこと、そういう、僕らが小学校で習うようなことを見事に表しているようで、好きだ。

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東北新幹線の先を現実のものとして理解したのは、もう4年以上前だ。初めて友人と車中泊で泊りがけの旅に出て、津軽半島を北上する道中、夜闇に浮かび上がる高架を見た。僕は「その先の日本」に来ているのに、ここにはまだ「その先の日本へ」繋がる道があるのだと知り、その力に畏怖を覚えたのをよく覚えている。

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それ以来、その道は気になる存在であり続けた。建設途中の奥津軽いまべつ駅も、三線軌条が二手に分かれる地点も、北斗星の車内で見たはやぶさの輪郭と北海道の組み合わさった素晴らしいロゴも、3月26日が正月のように扱われた北海道新聞の一面も、仙台に向かう途中、車掌が言い間違えた「新青森、大変失礼いたしました、新函館北斗行きは」の一言も、「その日」の予感にあふれていた。

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10両編成の単騎が新青森駅を滑り出すと、見慣れた津軽半島に広がる景色に雪と、初めての視点が組み合わさり北への予感をさらに大きくする。宇宙でも広く知られていることだが、この惑星の新幹線は妙にテンションが上がる。

自動音声の放送に続き、JR北海道の車掌が乗務員の紹介とこれから雪の大地を飛ぶこの鳥が、その先の日本へ向かうことを告げる。白い手袋に包まれた手を僕らに差し伸べるように、銀色の時間を約束する。

最高時速270キロメートルの低速運転と、左右に防音壁がないことは、車内の音量を押し下げ、静けさを作り出す。音のない白い世界を映し出す車窓には、旅情しかない。

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日本の小学校にはプールがある。なぜなら、泳げずに子供が溺れ死ぬ悲劇を繰り返したくなかったからだ。合理的で、わかりやすく、非の打ち所がない判断だ。同じように、船に乗らなければ船が沈むことはないのだから、橋をかけたり、海底に道を作った。これもまた同じ、なにも疑うところのない、当然の選択である。つまり、この道は王道である。

奥津軽いまべつ駅を過ぎ、本州の終わりが近づくと、青函トンネルの紹介が始まる。24年の歳月と金をかけ、30年前に完成したこの道は、新幹線のために作られたのだ。王が厳かに王道を歩むように、減速した彼は静かに彼のための道へ、湿度100%の回廊へ進む。最速速度140km/hが作り出す、ダブルカプス型の風が北へ吹く。

爆音に包まれ、怒鳴り合わなければパブタイムを待つ時間を潰せなかった、夕暮れの豪華列車が擁した日本海最高のフレンチレストラン、ダイナー・プレヤデスの通路とは違い、新幹線が進む青函隧道は他のトンネルと変わらない。時折斜坑から入る電波でスマートフォンにメッセージが入り、大体の現在位置を推測させる。

和田誠の「倫敦巴里」という本に、様々な作家が書いた「北国」というネタがあり、一番好きなのは星新一が書いたものだったが、ここは捻りなく、トンネルを抜けると、北国だったと記そう。

「北海道へお越しいただきありがとうございます」そう言って彼は、多くの感動が待っていると知らせる。彼の言うとおり「この先の素敵な冬の北海道のご旅行」のために僕は4時間5分の一歩を進んできたのだ。

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新函館北斗駅を地図で見ると、ここを経由するために北海道新幹線はかなり急なカーブを描いていることがわかる。速度と、利便性、その矛盾する要求を最も高い水準で妥協した結果だ。技術とは概ねそのようなもので、最良の選択肢であったと言えるだろう。

その駅舎は最近の東日本の駅らしくすっきりとしていて、たくさんの小さな白い照明が灯されている。それが金属と石と木とガラスが混じり合った内装に複雑に反射して、あらゆるものを豊かな光と影に描き出す。彩度の低い建物だから、窓ガラスに映り込む車体や乗客の服の色彩とその窓ガラスにあしらわれた紫の線が見事にまとまって、瀟洒に見える。

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臨時特急ニセコ号に乗り込む。はじめてのハイデッカー車に躓きかけたが、着座するとその利点に驚いた。視界が高く、窓は肘のあたりまで大きく取られているため、見晴らしが良い。はじめての函館本線、いわゆる「山線」の区間の車窓を存分に楽しめそうだ。

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昼は「バッテラ棒鮨」という駅弁を買った。このタイプの駅弁はシンプルだが、お茶にも酒にも合うところが良い。最後に買ったのは、最後の白い翼に乗った北陸新幹線開業前日の朝食「焼さば寿し」だったと思う。バッテラというと、バッテリィライトを想像してしまうが、魚である。

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日がかなり傾いてきていて、はじめて通る区間がほとんど真っ暗になってしまいそうだが、長万部駅は美しい夕日の景色が描かれていた。

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金色の森は静かに夜へと引き込まれていき、ニセコの駅に着いたときには、あたりはすっかり暗くなっていた。

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けれども、こういう駅の情景を見ると「映画監督」の本能が動き出す。北海道新幹線は物語を2016年3月26日に始めたが、駅の明かりに照らされた舞い落ちる雪を見ていると、物語の始まる予感がする。頭のなかに見事に情景が描き出され、登場人物たちが話しだす。景色を狩るものとしての自分が目覚めるのを感じる。

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ニセコ号に車内販売は原則ないが、ここから一駅の区間だけ、地元のものを売りに来る人が乗ってくるので、クッキーとヨーグルト、それからせんべいを買った。

すっかりあたりは暗くなってしまったので、ついに手持ち無沙汰になり、ノートを取り出してコンテを切った。夏コミにはTHE NAME OF THE HEROINEに登場する僕のヒロインたちのイラスト集を作ろうと思う。絵をもっと上手くする。ここ数年、毎年絵を上手くすることに成功しているので、不安はない。

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小樽でまたしばらく停車したので、写真を撮った。小樽は二度来ている。いつか、手宮線と日本銀行小樽支店の跡を使って映画を撮影したい。もちろん、それより早く手宮線が復活した方が嬉しいが。

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札幌に一泊し、ついに憧れの車種の一つに乗れる日が来た――と書きたいところだが、残念ながらスーパー宗谷1号はノースレインボーエクスプレスでの代走となった。1号車2番という実に悔しい席である。何をやらせても一番になかなかなれない僕らしい席である。それでも、ハイデッカーと前面展望の組み合わせは素晴らしいもので、輝く雪煙を走らせて疾駆する快速エアポートの姿はとても美しかった。

5時間の旅路は、予定とは違う車種であるからきっと伸びるだろう。別に構わない。また別の楽しさがあるはずだ。

後輩の女の子に「なぜそんなに長い旅路を楽しめるのか」ときかれたことがある。きけば、移動はただ無駄で辛いだけだという。僕が思うに、移動することを楽しめないのは、移動することを楽しもうとしていないからだ。こちらからアプローチしなければ、旅路は楽しませてくれない。もちろん、あまりにも単調すぎて楽しむことに限界が来る旅路もなくはないけれど、楽しもうと思えば、かなり楽しめるものだ。

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例えば、車窓から見える景色を写真に残したいとする。すると、まずは決定的瞬間を逃さないことが難しいだろう。車窓から見える景色は、車窓からしか見えないことが多く、つまり通常の場合、走行中に撮影しなくてはならない。速くシャッタを切る必要があり、それに対応できる雑音耐性の高い撮像素子や、速いレンズを揃える必要がある。

また、写り込みも大問題だ。その点、iPhoneのような平たい「カメラ」は窓ガラスにぴったりと貼り付けられるので便利だ。

そして、決定的瞬間を逃さないためには、できれば事前に準備しておきたい。したがって、初めて乗ったときはとりあえずシャッタを切ってGPSで位置を割り出し、次に乗るときは狙いすましてシャッタを切るとか、可能なかぎりの高画質で録画してあとから切り出すとか、やることはたくさんある。上手く行けば嬉しいし、誰かと一緒ならその場で作品を見せ合ったりして楽しむことができる。

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知っておくことも旅を楽しむ手助けになる。宗谷本線で言えば、例えば急なカーブが連続している。ここをいかに高速に通過するか、ということが、時間短縮のためには必要になるわけだ。そのためにJR北海道は苗穂工場の総力を結集して振り子式車両を開発してきたし、高速化のための線形改良を行ってきた。

列車がカーブを通過するとき、力学的にはどういった力が働くのか、そうすると何に影響が出るのか、知っていて、実際に体験すると同じ長さの時間がまったく違う質のものになるだろう。

車窓から写真を撮ろうとしても、最新のガラスのコーティングの防汚性能が高く写真がとりやすいことがわかるし、地図と大気や雲の状態から光の動きが想像できれば、より良い撮影ができるはずだ。

理科の授業で学んだように、まず知識を得て、実験で確認して、また考える、そのサイクルを回すだけで旅の楽しさは高まる。修学旅行のしおりを作る時に、行き先のことを調べろと言われなかっただろうか。人生で大切なことは義務教育で教えてもらえるようになっているのだ。

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天塩中川駅でラッセル車と交換するはずだったのだが、順調に遅延していてより手前の駅で交換となった。「宗谷ラッセル」は皆が撮影しているので、同じような写真が量産されているわけだが、もちろん自分もそういうのが撮ってみたかったりする。けれども、それはそれとしてなかなかおもしろい写真が撮れた。

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ラッセルとの交換を果たしたので、昼食用に買っておいた「笹吉・助六寿司」を開ける。一般的な寿司弁当だ。もちろん景色も気になるので、忙しないが、車内で喰う駅弁には価値があるので、食べない手はない。

途中から保線員が二名、乗務員室に入り、走行中に何やら話している。乗務員室が密閉されていないので、内容は筒抜けだ。都合のいいように切り出してJR北海道を貶める道具にする奴がいないとも限らないのでここには書かない。

ただ、保線員たちの会話からは、常に存在する危険の予兆を見逃す気はないという強い意志と、大勢が想像する厳しい職場のステレオタイプとは違う、危険を受け止めなければいけない仕事人たちが持つべき態度が感じられた。一人ではなく、二人で乗り込んできたことからも、それは明らかだろう。

列車は急カーブの連続する山岳地帯を行く。天候も次第に悪化しているし、そもそも線形から見通しが悪い。このあたりは風で橋が数ヶ月で落ちてしまったので全村撤退が決定されたような陸の孤島なのだ。その困難な路線を、運転士は高い技術で切り抜けていく。そうしていくと、左手に海が見えた。次に来るときは、左側の座席に座ろう。

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終着、稚内駅で下車するとすぐに乗ってきたノースレインボーエクスプレスは棒線の駅から出発して、南稚内駅で待機していた上りのサロベツが入線してきた。国鉄型の特急マークは、シンプルで美しい装飾の手本のようだ。

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かつては棒線ではなく、一大貨物ターミナル駅であったが、貨物の取扱をやめ、どんどん縮小されていき、今では棒線一本しか残っていないという。しかし、新しい駅舎には、まだ希望がある。変われる、ということなのだ。また必要になったら、変われば良い。悲しいのは、誰も望んでいないのに仕方なく諦め、受け入れていくことだ。それは不幸であって、避けなければいけない。

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列車が遅れたので、予定のバスに乗れなくなってしまい、時間がある。なので、まずは別の行ってみたい場所に向かうことにした。

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語ればつまらない争いを生み出すだろう。だから語らない。ただ、美しい建物である。ここにある意味もある。

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この写真の色は全くの嘘だ。だが、誰も困らないし、伝えたいものがより強く描き出せたと思っている。

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バスに乗って辿り着いた夜の海には、流氷がたどり着いていたそうだが、どこからが流氷なのかよくわからなかった。複雑な光で、なかなか思い通りにならなかったが、残照の美しさは本物だ。

そういえば、以前「残照」という物語を書いた。評判が良かったのだが、技術的に撮れそうになかった。しかし、つくりたいと思っている。今なら、よりよいものができそうだ。ヒロインをやってくれる女優さんがいないのが問題だが。

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バスの道中は暗く、することもないので、いろいろと考えていた。何かが劇的に変わったわけではない。ただ、そこに行っただけだ。それでも以前とは違うのはなぜだろうと考え、iPhoneのメモ帳を開き、文章を書いては消して、書いては消してを繰り返す。

ある程度「子供」を進めると、将来に不安を持ち始める。想像力が育ったのだろう。みらいが想像できるから、期待も不安も生まれる。けれども、中途半端な成長は、中途半端な想像をするので、自分が夕暮れにいるとき、真夜中のことしか想像できず、次の夜明けのことを思い描けず、この夜闇に耐え続けるのならいっそ終わりにしてしまったほうがいい、と思うようになる。

僕もそうだった。何度終わらせることを考えたかわからない。けれども、その度に踏みとどまったのは、多分、映画があったからだ。好きな映画の台詞を信じ、見たい映画のために生きた。撮りたい映画のために攻め、見せたい映画のために守ってきた。

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夜が深まると、目が慣れてきて明るく感じる。僅かな想像力はすぐにそのことに気づき、夜は深まるばかりだと思う。そして、夜明けは日差しとともに来ると信じているから、静かに明るくなる世界に気づくことはない。曇りの朝だってあるのだから、いつだって強い日が射して栄光の日を迎えられるわけではない。気づいたら、明るくなっていた、ということもある。

僕は争いごとの映画が好きだ。勝つか負けるか、もっと言えば生きるか死ぬかの世界を描くのが好きだ。それから、人間らしい物語が好きだ。この二点によって、まともな学生映画の世界には合わなかったし、今も芸術映画を撮ることはできなくなっている。

だからこそ、世の中から生きるか死ぬかの局面を増やそうとする、より厳しくしようとする考え方が嫌いだし、より人間らしい生き方ができる世の中にしたいと思っている。

そうでないと、争いを描いても皆が現実を思い出しておもしろがってくれなくなるし、人間らしい考え方に現実味がなくなってしまい、僕の撮りたい映画の基礎が崩れてしまう。これでは、映画を撮り続けることができなくなる。 

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寿司屋の大将によれば、稚内の駅を見て多くの鉄道ファンががっかりするという。終着駅とは思えない、きれいすぎる、だから皆手前の抜海駅が好きなのだ、と。

僕はそうは思わない。新しく、美しい駅には夢と希望がある。映画館があり、コンビニもある。人が快適に暮らしていけるようにしようとする、堅実な態度がある。素敵な駅だと思う。古くて、薄暗く、汚い駅より、新しく、明るく、美しい駅のほうが日常には良いだろう。鉄道は日常のためにあるのであって、非日常の住人である僕ら旅行者のためにあるのではない。

明日のスーパー宗谷で発つことを伝えると、鉄ちゃんなのかときかれたので「鉄道は好きだが、自分のようなものが鉄ちゃんを名乗ったら本当の鉄ちゃんに申し訳ない」と答えたら「鉄ちゃんはみんなそう言うんだよ」と笑われた。貝の握りは素晴らしい歯ごたえだった。夏のほうが美味いというので、今度は夏に行こうと思う。

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朝の薄青の空気に、キハ261系の塗装はとてもよく似合う。貫通扉の周りの細かな部品とその隅についたディーゼルの排煙の汚れや、室内から漏れ出す暖かい光が、ステンレスの車体の輝きもすべてが美しい。

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もう、しばらくスーパー宗谷に乗ることはできない。3月に「宗谷」と「サロベツ」に一旦戻るからだ。

先頭車側面に誇らしげに記されたTilt261の文字が、ただの装飾と化して久しい。高速運転を取りやめているので、その機能は使われてはいない。

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みどりのマキバオー」で、マキバオーが「なんて悲しい話なのか、みんな貧乏が悪い」と嘆くシーンがある。

スーパー宗谷がその持ち前の空気バネを利用した振り子機能を利用して急カーブの連続する線区を駆け抜け、極北の地域の日常をより強固なものにすることができなくなったのも、そのマキバオーの生まれた日高地方につながる、まるで波の上を走るかのような日高本線の廃止が秒読み段階にあるのも、みんな貧乏が悪い。

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旭山動物園が栄え、知床が世界遺産に認定されると、稚内への観光客は減ったという。今回僕が利用したパック旅行にも道北へのオプションはなく、無理に組み込んだ。このエントリィを見ても、大して魅力に感じないと思う。ただ、僕はもう一度行くだろう。そこには普通の街があったからだ。

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動物園から戻ったあと、旭川の街はひどく吹雪いていて、とても気楽に散策できる様子ではなかったので、キヨスクと駅前のイオンでお土産を買い込み、ヤマトで発送し、寿司屋に入った。油坊主の西京焼きというものを初めて食べたが、美味かった。付け合せのゆりの根も美味かった。

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夜、駅に列車を撮りに行くと、キハ40が侍っていた。この北海道色が一番好きだ。今度TOMIXから再販されるので抑えておこうと思う。

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旭川駅も好きな駅だ。この手摺に持たれ、真奈美が見下ろしている絵が想像できたが、真奈美がここに来れるのはきっと就職してしばらくしてからだろう。お笑いゴールキーパの物語をそこまで進めなければいけない。英気は十分に養えているし、頭のなかに広がる絵の貯蔵庫も拡張工事が続けられている、良い旅行だ。

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朝になっても吹雪は収まらず、危うく滑って線路に落ちるところだった。気をつけよう。

乗車後もスーパーカムイの車内は静かにひんやりとしてきて、外の天気はどんどん荒れていった。

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短い乗換時間だったので不安だったが、ほぼ直線で構成されるスーパーカムイの走行区間では影響は小さく、すずらんの到着が遅れたので朝食の駅弁を買うこともできた。「北海道三昧冬御膳」はいろいろな地元の名品が楽しめる、駅弁の魅力の一つそのままの駅弁だ。

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北斗に乗ってからも天気は目まぐるしく変わったが、初めて駒ケ岳の輪郭をしっかりと認識することができた。天気運のない僕としてはかなりいいほうだったと思える。

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函館は三度目で、特に港周辺はかなり歩いたのでよく知っている。とはいえ雪の季節は初めてなので、摩周丸でも見に行くかと思い、歩みを進めたが、とてつもなく風が強い。 

普段ならどうということなく平衡感覚で取り戻せる無理なステップを踏んでしまい、風が強い、煽られるぞ、と気づいた時には既に遅く、横に倒れ慌てて手を伸ばしたが、したたかに腰を打っておまけに手首も捻った。

より一層気をつけて、摩周丸に近づき、叩きつけるような風と向き合うと激しく荒れる海の様子がよくわかる。波頭は白く、むき出しの顔には氷のような空気が襲いかかる。

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だから、青函連絡船の復活などありえないと確信し、青函トンネルの意味をより深く知ることができた。

僕は「渚にて」を最終話のタイトルとした「放課後のプレアデス」のオープニングテーマ「Stella-rium」のファーストコーラス、サビ手前の歌詞が好きだ。それは、自分で行ってみる景色を狩るものの本性以外の理由だと思うからだ。

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信号故障でいくつかの北斗やスーパー北斗そしてニセコが運休になっており、残念ながら早めに駅に戻って撮影するか、という目論見は失敗した。が、少し恐ければこちらも巻き込まれて運良くながまれ号塗装が入線していたので、低くなった日差しと組み合わせて撮ることができた。

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五稜郭駅で、はこだてライナーを待つ。海峡太郎が好きなので撮りたかったのだが、赤熊と夕日を組み合わせることができたのでまあ、良しとしよう。

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基地から入線したE5の車体は美しく洗浄されている。新函館北斗駅の小さなたくさんの照明が、その勇姿を輝かせていた。H5はまたお預けになってしまった。

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このドアから汐音が顔を出して島津を探す姿を頭のなかに描いている。連中の修学旅行は新潟の予定なので、E5ではないと思うけれど。

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夕食は鰊みがき弁当だ。何十年も売られているベストセラーとのことだが、納得の美味さである。ビールは奮発してエビスだ。サッポロクラシックがよかったのだが、まあ、E5なので仕方ない。エビスは美味いビールだし、問題はない。

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僕が最も高く評価するアニメのテレビシリーズが「翠星のガルガンティア」だ。いろいろと素晴らしい作品だが、特に好きなところが「人間らしさとは自ら変えていけること」と定義したところだ。自然に流されて生きていくのでは、動物と変わりがない、文化や進歩こそが人間らしさなのだと。

北海道の中心である札幌市は人口20万の、豪雪地帯に存在する世界でも珍しい大都市だそうだ。通りが碁盤のようになっていることからも、人に手によって計画的に整備されていることがわかる。その過酷な自然環境において日常を作り出している。人間らしさが溢れていると言えるだろう。

その日本有数の大都市に、日本最強――最速でも最高でもなく、最強である――の交通システムである新幹線が到達していない、これはおかしな話である。というのは建前で、北海道新幹線が札幌に到達し、JR北海道がゼニをガッポガッポ儲け、第二青函トンネルが建設され、皆が遊び放題の懐にならないと、北斗星や定期夜行列車としてのトワイライトエクスプレスの復活などありえないのである。北斗星に限らず、マキバオーの言うとおり貧乏は悲しい話を生み出すので悪だ。だから、北海道新幹線に失敗の選択肢はない

さらに、悲しい話というのは、つまり争いである。争いが起き、人間らしさが失われると、僕がおもしろい、とにかくおもしろい映画を撮るための環境が失われるのである。絶対に阻止されなければならない。

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まだ、文章は書き慣れない。論理を組み立てるのが苦手だ。勢いに任せて、紡いでいくしかない。けれども、幸か不幸か、そうやって書いた文章は、絵は当然のこと、なぜか一番自信のある映画よりも評判がいい。

だから、ちょっと多めに書いてみた。書くことで鍛えられるものがあるし、運が良ければ映画を見てくれる人も増えるだろう。そうやって、少しずつ作って、状況をよくしていくことが、僕の日常だし、自ら悪い状況を変えていくことが、人間らしさだからだ。

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東京駅は暖かく、上着はいらないほどだった。

まだ、夜のどの辺りにいるのかはわからない。僕らを照らしてくれた夕暮れの光も、北斗の星も、今は闇の中に沈んでしまっている。

けれども、恐れず、驕らず、真摯に地球を回していけばいい。いつもそうやって、夜明けを手に入れてきたのだから。