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六月の開発局

「業界の人」じゃないよ

なぜ感想なのか: JR北海道とサクラクエスト第三話

昨年の3月26日「北海道新幹線に失敗の選択肢はない」という記事を書いた。僕は、特に新幹線が好きというわけではない。どちらかというと寝台特急や在来線の特急が好きだ。伝統的な風情ある名前や車両の様々な列車失われることは悲しいし、最後に取れたトワイライトエクスプレスのロイヤルをウヤっているので、そのことを今でも恨んでいる。

が、北海道新幹線の開業前、新幹線のことを何もわかっていない人たちが言い出した否定論に大勢が踊らされていることには腹が立った。

だから、新幹線とはいかなるものなのか、ということを懇切丁寧に説明した。それをわかってもらえればきっと北海道新幹線の良さがわかってもらえる、否定論のバカバカしさがわかってもらえると思ったからだ。

あれから一年以上が経つが、北海道新幹線は想像以上の業績をあげていて、とても嬉しい。

ところが、北海道新幹線の運行主体であるJR北海道を取り巻く情勢は極めて厳しく、いくつかの路線の廃線が秒読み段階に入っていることはご存知の通りである。それをまた新幹線のときのように理解する気もなくただ攻撃することのみを目的としたような言論が幅を利かせていて、とても不愉快である。

ではまた以前のようにしっかりと書くか、と思ったが、どうも書きづらい。ちゃんと説明すれば、と思っても、最終的にはコスト論の勝負の世界になってしまい「道路なんかに無駄金使ってるから悪いんだ」「道路より鉄道の方がずっと価値がある」といった内容になってしまい、読んでも愉快な気持ちになるものにならないのだ。

そして、JR北海道がここまで追い詰められたのには自然環境以外にも理由がいくつもあり、そのことを無視して廃止反対自助努力を主張する人たちについても書かなければ説明が終わらない。とにかくケンカのにおいしかしないからどうしたものかと思い悩んでいた。

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この春から、ヒロインが間野山という田舎の町興しを頼まれるアニメ「サクラクエスト」の放送が始まった。舞台のモデルは明らかに城端である。

所詮はアニメだ。可愛い女の子が5人も集まり町興しである。首を狙いに来る敵もおらず、のんびり楽しくきゃっきゃうふふである。嘘っぱちの塊である。和菓子屋の店主、他反対する人もいるがこの子たちの頑張りを見て次第にほだされ大団円となることが想像できる。まあでも、P.A.WORKSだし、見ていたわけだ。

そして木曜日の朝、録画しておいた第三話を見て本当に驚いた。自分は街を変えるために努力していると言う観光協会の会長に対して主人公であり、ヒロインである20歳木春由乃はこう言い放つ。

だって間野山の人たちは、誰も変わりたいなんて思ってないじゃないですか!

直感的にいいセリフだと思った。仮にも演出家なので、それぐらいのことは考える。

5人の可愛い女の子があつまり、あとは成功に向かっていくだけのお話に、強大な実体としての敵を設定した。誰も、である。やろうと思えばなあなあで済ますことのできた町民全員を、この作品は敵に回したのである。波風立たないはずの設定にヒロイン自ら思い切り波を立て、お伽話の世界に現実感を見せてくれた。

普通の女の子になりたくない由乃はどうなるのかというドラマの楽しさ、間野山という世界はどう変わるのかという物語の楽しさの予感はあった。だがストーリィはただ成功していくだけじゃないかという予感もあった。でも、この一言で、いや、このアニメはこれから先にもとんでもないセリフを持っているかもしれない、という期待が生まれた。

こういう容赦のない描写が僕は好きだし、影がしっかりとあるから光は輝くと思う。だからこの作品を見ていてよかったと思えた。

そしてこの台詞には勇気と覚悟があった。でも、その勇気や覚悟はきっと実績や信頼の上にあるのだろうと思うし、それは純粋に憧れることだ。

でも、ざっとTwitterを検索したがほぼ誰もこの台詞について言及してはいなかった。作った人間もそんなに重く考えていなかったと思う。

それでも、僕はこの台詞には真実があると感じるし、こういう台詞を紛れ込ませられるようになりたいと思っている。

本題は「僕がこれら二つの事から何を感じたか」ということなのだけれど「何を感じた」その内容自体は書く必要がないから書かない。書きたくないし。つまりそういうことだ。きっとわかるだろう。

作品を見るときには、自分が普段触れているものと通じ合うところに気づいたりするところがある。それを僕は大切に思っているし、だから「感想」を書いている。評論や、解説ではなく、感想を書いているのはそのためなのだ。評論や解説には正しさが求められる。けれども、感想にはそれがない。

そして、自分が作るときも、そうやって見た人が自分が普段触れているもの、特に僕が想像もしていないものと通じるところに気づいたら嬉しいな、と思っている。そこには、新しい価値があるからだ。作ろうとも思っていなかった価値が発見されたという、幸運があるからだ。

感想には幸運を記せる、といっても良いだろう。だから、これからも感想を書くつもりだ。もしも誰かが、僕の感想を見てその幸運を知り、いろんな作品、とくにまったく良いと思っていなかった作品を楽しんでくれるようになったらいいな、と少しだけ思っている。