六月の開発局

「業界の人」じゃないよ

そして青い森へ旅立った

今年の夏は調子に乗って予定を入れていたら七月の週末のうち3回を遠出しており、大変なことになった。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919221121j:plain

七夕の週は京都に瑞風が吹いた。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919215857j:plain

新大阪駅の空。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220028j:plain

このあと、地下鉄に乗っていたら路面電車に化けていたという怪現象に出会う。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919215926j:plain

大津線はまた乗りに来たい。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220002j:plain

三連休は毎夏恒例のグランツーリズモに友人と出かけ、淡路島で朝を迎えた。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220103j:plain

小松島は祭の鼓動を湛えていて、それはとても素敵なものだったけれど、写真には写らない。映画になら、写せる気がする。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220621j:plain

練習艦が見学できるとのことだったので、時間まで近くを歩いた。こういう、何気ない景色が好きだ。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220407j:plain f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220441j:plain

今まで中を見させてもらった自衛艦の中で一番古い船になる。今回も隊員の方にいろいろおもしろい話を聞いた。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220746j:plain

四国を横断し、八幡浜の港まで行った。今度は、列車で来てみたい。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220817j:plain

船まで時間があったので、近くの店で夕食とした。テレビから聞こえるオールスターゲームの音は、夏の輝きに深さをくれた。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220837j:plain

別府を経由し、鹿児島の3年ぶりに来た銭湯で朝風呂とする。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220858j:plain

海を越えて、宇宙への玄関口へ。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220915j:plain

連れて行くか迷っていたのだが、出かけに連れて行く決断をしてよかったと思えたショット。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220944j:plain

魔法の時間には、なぜ今日が映画のための日ではないのかと思うこともある。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919221110j:plain

フルサイズ不在の夏夜は彼女のポートレート撮影に費やした。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919221519j:plain

朝の獣たち。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919222613j:plain

フェリィと自称する貨物船で文明と離れた時間を過ごした。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919221440j:plain

宮崎を掠めていく。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919221354j:plain

このとき後ろ髪引かれる思いで走った道から見える空の色はとてつもなく美しく。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919221427j:plain

三重の夏には志摩風が吹く。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220217j:plain

大旅行の終わりの夕暮れ。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220234j:plain

宇宙への玄関口からの帰り道、地球への扉が清水の夜に見えた。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220317j:plain

最後の週末。水上の雨の中、鉄騎はその勇姿を披露する。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919220338j:plain

雨色の信濃川を眺めたり。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919221151j:plain

映画を撮るんだ。再び。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919221309j:plain

この小さな旅行から帰って来て、僕はこの駅から夜行列車に乗り、青い森へと旅立った。 f:id:TOYOZUMIKouichi:20170919221321j:plain

こうして写真を撮っていて、自分の周囲の人に見せると「上手いね」と褒めてもらえる。「壁紙にしても良いか?」とか聞いてくる人もいる(当然だがそういう使い方であれば好きに使って構わない。私的複製の範囲なので、僕が押しとどめられることでもない。誰に対しても許可を求める必要はない)。とても嬉しい。

そして、僕が小説や文章、絵を売っていることを知ると「なぜ写真集を売らないのか」ときいてくる人たちが、実はかなりいる。

僕は、自分の写真が売れるとは思えない。僕よりずっと上手い人が山ほどいて、そういう人たちの写真に対する、特に色に対する追求にとても敵う気がしないからだ。いくらカメラに高い金を払い、旅費を費やして、枚数を稼いでも、写真を撮ろうとしている人間と、シーンを、自分の中だけに生まれた映画の一瞬を、引き戻す手がかりを切り出そうとしている人間が勝負になることはない。そう思っている。

でも、ちょっとやってみようとおもって、コミケにはそのつもりで応募した。数えたら、この5年間で9度も訪れていた青森の写真集になる。それには恐山もねぷたもないし、どうかするとねぶたもないし、竜飛崎もない。弘前の名所もなく、食べ物の写真もない可能性は高い。

僕は5年前の夏、東京で映画を撮っていた。それは未完成の映画になってしまったけれど、その時得られた輝いたショットはこの夏の終わりにすべて使いきった。そして僕はそのショットに自信を持っている。その自信があるから、一歩前に踏み出してみよう、そう思ったのだ。なぜそんな自信が持てたのか、それはいつになるかわからないけれど、その作品を公開する日がくればきっとわかるだろう。

ただ、言葉で説明するなら、そこには、僕の観る絵の強さがある。小説としては歪でとても勝負にならないものを作ったかもしれないが、お話としては戦えるものを作った。同じように、写真集としては勝負にならないものかもしれないが、絵としては戦えるものにできる、そう思えた。

「ああ、豊住はこれだけの話を作れて、これだけの絵を作れて、これだけ時間を作れるのだから、その力が発揮されれば本当にすごいものを作れるんだろうな」と思ってほしいから、作れる、そういう気になった。

なので、今はたくさんの写真を選別し、焼き直している。

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