六月の開発局

「業界の人」じゃないよ

ゆるぎない、その日を。再び。 -Happy Birthday, again-

いつ、どこに行くのか。旅行はそれが問題だ。

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今日は、24年の長きにわたりスーパーあずさとして君臨したJR東日本E351系電車が退役するときき、別れを告げるために秋の信州へと旅立った。8時ちょうどのスーパーあずさ5号で、最後の旅へと出かけたのである。

今は亡き、さほど偉大でもない僕の父と、僕は何度か甲府や松本に行っている。父は給与の多くを血に溶かして便器に流し、煙と快楽物質に変えた男であったがドケチでもあったため、かいじきっぷで甲府に行くか、あの手この手を駆使して青春18きっぷで出かけるのが常だった。

そんな旅行の道中、横目に見たE351系グリーン車は輝いていて、とても憧れていた。あれから何年もの時が過ぎ、何度かスーパーあずさには乗ったが、それでもいざ、なくなるとなると、会いたくなってしまった。

晴れた車窓から外を眺めていると、美しい景色が流れていく。彼女に替わって新たに中央東線に君臨するであろうE353系の有志も一瞬見ることができた。抜けるような青空の下の河川敷には自慢の巨砲を構えた猛者達が連なり、最後の秋の姿を仕留めようとしている。

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先週の三連休は、長野と山梨、静岡に福島、山形そして秋田と栃木と旅行した。その長野ではE351系の姿を収めようと思ったのだが、時間が悪く、結局もう撮ることはないだろうということになっている。E351系の写真など山ほどこの世には存在する。それなら、自分はまだない写真を撮りに行こうと思った。

僕が鉄道や航空機を収めるためのレンズを揃えておらず、手持ちの望遠でまかなっているためにそれらしい鉄道写真が少ないのは、そのような用途に使う超望遠レンズが他の用途に使いづらすぎるからだ。そしてそういったレンズで撮れる写真は、誰が撮っても似たような写真になってしまい、そして専門にしていない自分の写真はそれらの中で最も劣る一枚になる。それなら他人が撮りにくい、自分が描いている情景を切り出す写真、自分の技術や感性が世界で最も輝く一枚を撮ろう、と思うからだ。

けれども、今日のトンネルの中で見ていた記事にE351系の写真が出てきたとき思ったのは、今までとちょっと違うことだった。

「僕はE351系を思い出す時、この写真を思い出すだろうか。例えば今はなき北越急行色のはくたかを思う時、どんな見事な鉄道写真よりも自分の撮影した写真を思い出しているのではないだろうかーー」

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よく「写真ばかり撮っていると思い出が残らない」と言う人がいる。僕はそうは思わない。一葉の写真を見たときにそこに至るまでの過程、どんな心持ちでシャッタを切ったか、その時の温度や湿度、その旅行で楽しかったこと、美味しかったもの、いろいろなものが思い出せるからだ。

たとえ誰かの作品と同じような構図となっても、それが他人に劣るものであっても、撮りに行ったときの様々なことはその車両のかけがえのない思い出で、大切な物語の一部になるのだ。

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今年は春先から小説を書いた。揃って言われたのは「文章が下手だ」ということである。とにかく読みづらい、と散々言われた。そして、自分でも読み返すとまったく訳のわからない文章を書いている。

小説に限ったことではない。このブログの記事もなんだよくわからない文章がつらつらと並べられている、そんなことが少なくない。後で見返すと、酔っ払っていたのではないか、と思う水準だ。

ただ、そんな中でもなぜか旅行記、紀行文だけは妙に評判がいい。もっと書くべきだ、読みたい、写真と合わせて売ったらどうか、そんなことを言われるので、ありがたいことにスペースを頂戴できた今年の冬のコミックマーケットでは、青森の写真集「わたしの青森の物語」を出す。場所は、日曜日東地区“P”ブロック-47bだ。

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帰りの北陸新幹線ではグリーン車に乗った。JR東日本の新幹線には「トランヴェール」という小冊子が背もたれのポケットに入っており、ここには沢木耕太郎の「旅のつばくろ」というエッセィが掲載されており、大変楽しみにしている。毎月新幹線に乗っているわけではないので、なんとかバックナンバをすべて揃えたいと考えているほどだ。

沢木耕太郎の文章はいつも切れているが、今回も上手いな、と思わされた。「ソフィスティケート」と彼は<洗練>を外来語としてカタカナで表現したのだが、彼がなぜわざわざ外来語の方を利用したのかが強く伝わってくる。カタカナの並んだときの異質な感じ、少し鋭すぎる感じが、その記事の意図するところには大変ふさわしく感じられた。

今は亡き、さほど偉大でもない僕の父も深夜特急を愛読していたので、彼の遺した初版本は彼の最後の旅路に持たせた。僕はその父に一度聞いたことがある。僕の名前の字は、沢木から取ったのか、と。

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10年前の今ごろ、大学生活始めての冬を迎えていた僕は、課題で映像作品を作るように要求された。そこで、他人が撮りにくい、自分が描いている情景を切り出すカット、自分の技術や感性が世界で最も輝く作品を撮ろうと考えた。

自分の知っている、自分だけが見ている情景を重ね、沢木耕太郎深夜特急を携えた青年が、御茶ノ水駅から中央本線に乗り旅に出る作品を作った。タイトルは「ゆるぎない、その日を。-Happy Birthday-」だ。その作品がすべてを回し始め、たくさんの作品を作り、今では映像を作って金を稼ぐようにさえなっている。写真も、あの頃とは比べ物にならないほど上手くなった。映像を作るために描き始めた当初の絵を見た人たちは皆「何が描いてあるのかわからないぐらい下手だった」という。そして絵を描くようになり、上手くなった。だから、文章も書いていけばきっと上手くなるだろうと信じられる。

もちろん、あの時もっと上手ければ、と思うこともある。遅すぎたのではないか、そう思うこともある。それしかない、と言ってもいいかもしれない。どんなことにも、10年の中を振り返るだけでも、数え切れないほどある。

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だが「今が、時だ」そう思うようにしよう。そして、今日、行くべきだったのだ。