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「業界の人」じゃないよ

純粋な優しさに包まれた3ヶ月 - Just Because! 感想

もう30になるというのに、未だにクリスマスが近づくと「有楽町のドトールでココアを飲んでいると、白いコートに身を包んだ黒髪ロングストレートの美少女がやってきて「一時間なら待てなくて、一時間半なら待てるのね」と皮肉ってくれないだろうか」などと言っている。これは、とある小説のラストシーンなのだが、そういう「夢みたいな話」を「アニメの脚本」からとにかく削除しまくったような話、というのが「Just Because!」を端的に説明するやり方だと思う。

つまり、ひどい言い方をすれば、華がない。クリスマス回に雪は降らないし、女の子たちの私服は基本重武装で露出度が低い上に、絵のトーンも全体的に彩度が低い。それどころか、春から神戸に行く女の子に男の子が毎週会いに行くよ、と言っても「新幹線で往復3万、続くわけがない」と言い返すような話である。ちなみにEX早得21を使えば2万強で済む。僕はこの作品を見始めたとき、見ていなかったのだが方方で「似ている」と言われていた別の作品とはまったく態度が違う。主人公は文学で認められて出版社に呼び出されたりしないし、イタリアに行ってヴァイオリン職人になる、とか言い出さないし、幼いころの約束のアイテムもなく、当然お色気ハプニングもなければ、超金持ちも登場しない。金を持っていそうなキャラクタが出ても、黒服がメルセデスで送迎したりはしない。

そして、この「夢みたいな話」の削除は、最後の最後まで徹底している。卒業式の日「ホームランを打とう」と友達と対戦し、ホームランを打つ。だが、その後声をかけるべき彼女はすでに帰路についており、会うこともできない――。

この展開に「一体何の意味があるのか」と憤っている人がいた。おそらく「卒業式の日に告白して、幸せな結末を迎える”べき”」だとでも言いたかったのだろうと思う。多くのアニメはそうしてきたし、それは「お約束」であり、一番作り手にとっても見る側にとっても「安心できる」展開だったはずだ。では、僕らはその「安心できない」展開をどう受け取るべきなのか。この極めて禁欲的な展開、別の言い方をすれば極端なリアリズムに徹したアニメのお話をどう捉えていけば良いのか。

僕は、それを優しさと捉えればよい、と思っている。

好きな女の子とお互い同意の上で同じ大学を受験する、というのはなかなか素敵な話だ。もちろん、こっそり受けて見事合格し、大学で会える、というのも良いだろう。危険を犯したくないのなら、合格したところで告白し、うまくいきそうなら入学する、という作戦も取れる。当然、卒業式の日に告白して、その後の幸せな展開を約束したい、というのもそれほど珍しくない、高校生であったら夢見る展開の一つではある。何か願掛けをして、上手く行ったらそのまま告白になだれ込んでそこで大勝利、というのも一考だ。だが、それは、滅多なことでは実現しない。そんなことはわかっている、だからこそアニメでは、というのがおそらく批判の原理だ。

けれども、それは「僕ら」がその事態に直面していない、もしくはすでに過去のことだからだ。だがそれが「今」だったら、と思うと、その「夢みたいな展開」はとても恐ろしく思える。

卒業式を終えて、友達と一打席勝負する。そこまでは結構やりやすい。それからホームランを打つ、それもなんとかなるだろう。自分の腕次第だが、腕に覚えがあるならやっても良いし、その腕は努力でわりかし手に入りやすい。もちろんホームランでなくてもいい。そういう、自分が得意なもののうちの、特に素敵な出来事でいいわけだ。けれども、その後、好きな女の子に会って告白して色好い返事を勝ち取る、このステップにはそこまでとは正に格の違う難易度が存在する。その難易度の違いを「アニメの中では上手く行ったが、自分の人生はそうは行かないか」と卒業式の午後に思い知らされるのは、とてもつらいことだと思うのだ。

だが、アニメの中でそれが上手く行かず、大学に入ってから入学式でもない、しばらく経った「なんでもない一日」に彼女が声をかけてきてくれる、というのが「アニメという夢の世界での展開」でなら、その日に希望を持って生きることができるし、そうして生きている間に時間が恋心を解決してくれることや、新しい出会いが問題を問題でなくしてしまうことにも期待できる。「なんとなく」ほどかれていってくれるだろう。

メインヒロイン、夏目美緒は物語が始まった時、主人公泉瑛太を特に好きではない。他に好きな男の子がいる。しかし三ヶ月間の物語の間にその心は移ろって、主人公を「本気」で好きになる。この展開を見た時「ああ、この子はアニメファンに嫌われるだろうな」と思った。一人の相手をずっと好きでいる、ということがアニメにおける人間の「かくあるべき姿」とされている文化があるからだ。だが、その「かくあるべき」を現実に持ち込めば、殆どの場合地獄しかない。

ある人のフィールドワークによれば「非モテ」の多くに共通する特徴として「昔からずっと好きな運命の人が忘れられない」というものがあるそうだ。そしてその呪縛を解き放ち、気軽に誰かを好きになったり、付き合ったりすることで、恋愛はしやすくなり「モテない」という生きづらさから逃れ、生きやすくなっていくという。

「誰かを一途に好きでいつづける」こと、洗練されすぎた恋心が現実では地獄に直結するように、洗練されすぎた恋愛の展開を求めることも、また地獄に直結してしまうだろう。恋とは基本的にうまくいかないものなのだ。うまくいかないものをうまくいかないものとして描いてやり、その先にある小さな喜びを大事にしてやることは本当の優しさだ。その喜びとは、渡し損ねた手の込んだチョコレートを押し付けられたとき、ロマンスカークッキーを来月渡そうと相談してくれるような友人達が、黙って泣かせてやり干渉しないでいてくれるような清らかで健気な愛のことだ。

一方で洗練されていないお話の流れは、僕らに夢を見させてはくれないし、それを良しとしないという気持ちもわかる。

それでも、僕は「夢みたいな展開」を切り詰めたことが優しさだと思えたし、その優しさを作り出すために費やされたすべての労力の価値を高く買いたいと思う。静謐に描き出された映像美のことも書かないだけで強く感じたし、尊敬できる素晴らしさだった。パンタグラフの数は多すぎたが。

2017年最高のテレビアニメ作品であったと思っている。2013年の翠星のガルガンティア以来、放送終了直後に金を出そうと決意した作品となった。だから、僕は割引の効かない限定特典付きのBlu-ray Discを全巻予約したのだ。