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@TOYOZUMIKouichi

日本代表はなぜ負けたのか、そして、次のワールドカップで勝つために我々に何ができるのか、など

はじめに

僕は、まだ応援しているチームの敗退が決定してから時間が経っていない状況下で心を整えられるような大人ではない。だからかなり荒っぽい文章になっていると思う。勘弁してもらいたいと思っている。

僕は勝利至上主義のフットボールファンである。世界最高のフットボール監督はジョゼ・モウリーニョだと思っているし、コミケでは「勝つことは、すべてだ」とか「勝利至上のフットボール」とか書かれたコピィ本を四冊売った。だから、「日本らしいサッカーを見せられた」とか「感動を与えてくれた」とか「世界を驚かせた」という弁を弄することはしない。

もし心からそう思っているのなら、今一度考えてほしい。ヴァイッド・ハリルホジッチサムライブルーの監督にならなかったら、いったいどれだけの日本人が「ブラジルワールドカップでのアルジェリア代表」という存在を思い出せただろう。あの試合でアルジェリア代表は王者ドイツを追い詰め、世界を驚かせたということになっている。だが申し訳ないが僕のようなニワカファンはまったく覚えていなかった。あの試合で記憶に残っているのはマヌエル・ノイアーの守備範囲だけである。こんなブログを読みに来る熱心なフットボールファンは覚えていて当然なのかもしれないが、大抵の人間は僕と同じように覚えていないだろう。

大会前「ロナウドはワールドカップを取れるのか」「メッシに最後の大きなタイトルを」みたいな言説がたくさん流れていた。どうしてそんなことを思えるのか、僕は不思議でしょうがなかった。確かにポルトガルはEURO 2016を獲得した。けれどもほとんどの試合を引き分けでしのぎきり、入った決勝トーナメントの山も強国がいなかったのだ。ブラジルワールドカップでアルゼンチンは確かに準優勝だ。だが、決勝トーナメントの山はどうだったか、そもそも南米でアドバンテージがあったことも覚えていない。そして今大会前実に悲惨な状態であったことも知らないし、そもそもシャビ・エルナンデスはアルゼンチン代表にいないのだ。大国に対してそれぐらいの認識なのだから、日本代表なんか明日の夜には忘れ去られるに決まっている。

だから「日本らしいサッカーを見せられた」「世界を驚かせた」とかということに僕は価値を感じない。せいぜいご贔屓のチームが負けた朝の通勤電車の慰めになる、という価値だけである。そして、そういう認識を常に持っているべきだと思う。

日本代表はなぜ負けたのか

端的になぜ負けたのかを説明することは簡単だ。木村和司監督の弁を借りるなら「下手」だったのである。

前半30分を超えたあたりから日本のオートマティズムは非常によく機能していた。パスワークで相手を翻弄するだけでなく、ゴールに迫る危険なプレィがいくつも見られた。そして良い形でハーフタイムに入り、明けてからは見事にゴールを奪い、さらにゴールを決めた。非常に良い状態で、あとはゲームを閉じれば勝てた。当然である。相手より多く点を決めたものが勝つスポーツで実際に決めたのだ。勝てないはずがない。

ところがゲームを閉じる術をベンチも選手も持っておらず、そもそも閉じるのかそれとももっと攻めるのかすらよくわからなくなってしまった。一点差に詰められても、落ち着きはなくどんどん事態は悪化の一途を辿った。

上手なチームならゲームをしっかりと閉じる。「これは僥倖だやったやった」と心の何処かに「これでもし負けたとしても胸を張って帰れる」という思いは誰もが胸の中に抱えてしまうものだけれど、そういうものをコントロールする術を持っている。だが、そういう技術がなかった。技術がないことを、下手と言うのである。

ゲームを閉じ切るために必要な手というのはいくつかあるが、まず一番大事なのは走れることだ。例えば、ルカクのような規格外フォワードに対抗するためにも走れなければいけない。だからフレッシュな選手を投入して火事場の馬鹿力を抑え込む必要がある。さらに、投入される選手は守備の意識が高く、その技術が秀でていなくてはならない。チェックを怠るようではダメで、不用意にファウルを与えてピンチを招くようではいけない。

安定して動いている選手は変えない方がいいから、疲れていてどちらかというと守備に貢献しない攻撃的な選手を交換すべきである。ところが、日本代表のベンチにはそういう選手がまったくいなかったのである。

例えば、一番交代しやすいのは大迫である。こちらのゴールから一番距離が遠く、チームは二点とっているわけだから仕事も終えている。しかし、ベンチにいるフォワードは誰か。明らかにコンディションに不安がある岡崎と、エゴイズム丸出しで周りを見ず自分がゴールを奪うことばかりに執着し、それがスイス戦パラグアイポーランド戦とまったく修正されなかった武藤である。交換不可能なのである。

フォワードがこのザマで、中盤も四年の時を超えて「遠藤頼み」が「柴崎頼み」に進化した。もちろん、香川も優れたメディアプンタだ。けれども、ピヴォーテ柴崎岳の覚醒無くして此度の戦いをこういう形で終えられたとはとても思えない。一方で、彼に疲れが現れ守備能力が低下し何度も危険なシーンが作られたのも事実だ。そういう時に、山口蛍しか交代のカードがなく、残念ながら点を取って納めたいシーンで山口は役者不足であった。

それは端的に言えば林舞輝FCポアヴィスタU-22コーチ言うところの「23人のメンバ構成に失敗した」ということであり、つまり西野朗監督の責任、「下手さ」である。もちろん、90分走りきれない身体しかなかった柴崎の下手さでもあり、攻撃において柴崎の代理になれるほどの力を持てなかった山口の下手さでもある。彼らだけでなく、日本代表全員の下手さが、ベルギー代表の「上手さ」の前に屈したのだ。

西野が下手さを露呈したのは、第一に準備期間が短すぎたためだ。メンバ選考にろくな時間がとれなかったことが作用していないとはとても言えないだろう。なぜメンバ選考にろくな時間が取れなかったかといえばもちろん、もはや手を付けるべきではない時期にヴァハを解任したからである。これはJFAの下手さだ。

だから、なぜ負けたのかを一言で言い表すのなら「下手だから」ということになる。

もちろん、名を挙げたどの選手も、西野監督も、日本で最高の選手と監督だ。世界的にも非常にレベルの高い、両手両足をフル稼働させればどこかの指に必ず入る選手だ。なぜなら彼らは「世界最高の16チーム」の一員なのだ。とてつもなく偉大な存在であり、賞賛されるべき存在だ。少なくともこんな無名のレベルの低いプログラマでクリエイタワナビーにブログで「すべてを」ディスられていい存在ではない。

僕はここ一ヶ月武藤選手を批判してきた。その理由は上に述べる通りである。そして僕の好きな宇佐美選手も同様に批判されても仕方がないと思う。ポーランド戦における二人の前線でのパフォーマンスはとてもワールドカップで戦えるというものではなかった。

けれども、武藤選手がああいうプレィをする理由もわからなくない。フォワードは点を取ってなんぼ、とよく言われるし、柳沢選手のことを思い出せば、あのシーンを見た少年が、まず自分で決めることを選択する大人になって当然だ。「決定力不足」と言われ続けた日本に生きる少年が「決定力ある存在になろう」と集中することを誰が「全」否定できるというのか。宇佐美選手はリベリになんと言われたのか。100%ないと思って初めてパスしろと言われたはずだ。世界最高のドリブラの教えを忠実に守ろうとすることを「全」否定することはできない。

ガンバ大阪を十年以上応援している僕が書くのである程度贔屓はあると思うが、西野朗は優れた監督である。その実績は日本で最も優れた監督であることを示している。FIFA主催の国際大会で初めて勝利を飾った日本人監督であり、Jリーグ史上最大の成績を誇る監督である。非常事態であってもチームを毎試合進化させ、16強に導いた手腕は称賛されて然るべきだ。スイス戦の日本代表には、パスを受ける動きというものがあまりに足りなかった。出しどころがなくなった本田圭佑が無理にパスを出したりあるいは下げざる得ないシーンが多く見られた。

コロンビア戦の序盤も、相手がパスを狩ろうとしているということを考慮しないようなプレィを見せていた。放たれるパスも、走っている仲間の放つ時点での位置を狙うといったズレたものが多かった。これでパスサッカーができるわけがない、と思わずにはいられないものだった。けれども、コロンビア戦の後半には、自らの背後からパスを狩ろうとする敵を背中で強く受け止めていた。セネガル戦での柴崎岳はボールを受ける前に首を振って受けてすぐ次のプレィに繋ぐことができていた。ベルギー相手に見せたパスワークはわずか一ヶ月でここまで進化できるのかと思えるものだった。

僅かな期間でチームを進化させる一方で、「戦わないことが罪ならば俺が背負ってやる」と言わんばかりの采配で見事当面の目標であった16強に達したこの監督の手腕には大きな尊敬の念を抱いている。

川島永嗣は確かに今大会においていくつかのミスを犯した。今回に限らず、キャリア全体においてもミスの少ないGKとはとても言えないだろう。けれども、その実力と実績は偉大なものである。ベルギー最初のゴールはペップ・グアルディオラが「キーパを8人並べても止められない」と言った08-09シーズンのジュニーニョ・ペルナンブカーノフリーキックと同じ性質のものだったし、残りのゴールも責められるものではない。

本田圭佑は実にひどいコンディションでスイス戦を演じた。それは事実だ。だが、2010年と2018年、二度のワールドカップでベスト16に上がれたのは誰の力に寄るものか。本田圭佑の力に寄るものである。伝説の選手たちの系譜に此度の大会で名を連ねたこの名手は、ゴールを獲得してきた。それがすべてだ。そして最後大きなミスを犯したかもしれないが、あの場面で枠内にFKを収めてきたのもこの男だ。

でも、ベルギーに勝ったわけではない。

僕は「コロンビア戦はラッキーで勝った」という言説にも「グループリーグを突破できたのは運が良かったから」みたいな言説にも与しない。日本代表が強かったから、優れていたからコロンビアに勝利し、セネガルと互角の戦いを演じ、最終的にグループリーグを突破したのだ。

同様に、ベルギーより日本が優れていないということを端的に表すのなら「下手」の二文字があるというだけの話である。

次のワールドカップで勝つために我々に何ができるのか

人は誰でも監督になれる。例えば「二点を入れた時点でバスを止めて守るべきだった」と言うことができる。「中島翔哉を入れていれば、フォワードの選択肢が増えたんだ」と言うこともできる。フットボールの前には誰もが監督になってしまうだろう。僕もその一人だ。

けれども、そう言った発言や、論評、外野の連中が行う「総括」に、僕は日本代表を強くする作用があるとは思わない。よく「日本代表は行き当たりばったりで大会ごとの総括がない」と言うような意見を言う人がいる。これが、JFAの内部の人間が言うのだったら、理解できる。けれども、実際には例えばブラジルワールドカップでも技術委員会による総括が行われている。実際はあるし、外野の人間がどうこう言うことではない。したところで、日本代表の強化につながるとは僕は思わない。

ではどうすべきなのか。

西野朗といえばマイアミの奇跡の印象が世間一般では強いようだが、僕はやはり10年前のFIFAクラブワールドカップ準決勝、ガンバ大阪マンチェスター・ユナイテッドの試合を思い出す。3-5の打ち合い大バトルは当然のようにCR7擁するマンチェスター・ユナイテッドが勝利したが、遠藤保仁をピヴォーテに置いてゲームの支配を図り、サー・アレックス・ファーガソンをナーヴァスにさせたこの試合はやはり特筆すべき試合だと思う。また、前年には同じ舞台で浦和レッズACミランという勝負があったので「日本の守備」の前年「日本の攻撃」の今年という印象もあった。

だが、これはFIFAクラブワールドカップにおける日本勢の最高の試合ではない。最高の試合とは、レアル・マドリード鹿島アントラーズのことを指すのである。

この試合は実に奇妙な試合だった。何が奇妙だったかと言うと、結局最後力負けしたもののJリーグレアル・マドリードが迷い込んだような試合だったのだ。そうとしか表現しようがない。鹿島はいつものようにプレィした。確かにポゼッションはなかったし、シュートの数も少なかったが、それでも「鹿島」だった。そしてレアル・マドリードは2-2でゲームを終える羽目になっている。リーグ戦なら、引き分けで済んでしまったのだ。90分で負けた前の2つの試合とは話が違うのだ。

この時ピッチで輝いたのが、柴崎岳であり、昌子源だ。そしてこの試合には参戦していないが、大迫勇也もまた鹿島アントラーズの出身である。ロシアワールドカップの日本代表の中心には、実に三人の鹿島アントラーズの選手がいたのだ。

セレッソ大阪の熱心なファンである貴方が言いたいことはわかっている。乾も香川もセレッソの選手だ。素晴らしいセレッソの選手だ。原口と長谷部は浦和レッズの、本田圭佑吉田麻也名古屋グランパスの選手だ。

日本代表が初めてワールドカップでベスト16に進んだ時の監督はフィリップ・トルシエだが、この監督はアーセン・ヴェンゲルの紹介によって来日した。ヴェンゲルと日本のパイプがあったのは、当然名古屋グランパスの監督だったからである。名古屋グランパスのスポンサは誰か、トヨタ自動車だ。セレッソはもちろんヤンマーのチームである。話を端折れば天気予報をやってたから……じゃなかった日本が稲作の国だったから、セネガルの人々もベルギーの選手も「イヌイってやつの仕業」と今も思っているのだ。アントラーズはそもそも住友金属というとてつもない企業のチームであった。浦和レッズ三菱自動車のチームである。

西野朗は日立によって育ち、松下によってその名声を得た。自転車に明かりをつけたり二股ソケットを開発したら、なんとマンチェスター・ユナイテッドとタコ殴りの大バトルを演じることになり、ワールドカップで8強に十数分届いていたのである。

そして今も日本代表に大きな影響を与えている「サッカーの日本化」を掲げた男、イヴィツァ・オシムジェフユナイテッド市原・千葉の監督である。古河電工国鉄の力で、サッカーの日本化は始まったのだ。

日本代表を強くしているのは、日本そのものなのだ。

だから、日本代表を強くするために、我々はまずどんな形でも前向きに進むべきなのだ。そうすれば、必ず結果がやってくる。諦めず、最後まで、この国を見捨てずにやるべきだ。

前向きを説明することは難しいが、後ろ向きを説明することは簡単だ。他学年に自転車の二人乗りをして生活指導にしょっぴかれた生徒がいると、クラス全員で徒党を組んでその生徒の在籍するクラスに乗り込んで退学させろと喚き散らすようなことが至高の娯楽になっているような状態を言うのである。

そして、前向きに生きて、それでも、もしよかったら、Jリーグが再開してテレビで中継をしているとき見れば良い。そうしたらちょっと日本代表は強くなる。それで、もっと日本代表を強くしたかったら、近くのスタジアムに足を運べば良い。ほぼすべての都道府県にJリーグに加盟しているか、加盟を目指しているチームがある。そこに行けば良い。

近くに良いスタジアムがないかもしれない。それなら、旅行に行ったときに言ってみるのもいいだろう。大洗に戦車を見に行ったのなら、鹿島に行こう。千葉の海に行ったのなら、蘇我で途中下車してフクダ電子アリーナに行こう。仙台で牛タンを喰って、ベアスタに行くのもいいだろう。東北や秋田、山形や上越、北海道や北陸(長野経由)に行ったのなら、大宮で下車して埼スタに行けばいいのだ。関西に旅行に行ったら、パナスタの素晴らしさを知ることができる。

スタジアムに入れば、日本代表は少し強くなる。いい座席にすれば、もっと日本代表は強くなるだろう。ビールを買えば、日本代表はまた少し強くなる。スタグルを買えば日本代表はもっと強くなるだろう。次は友達を誘ってくれば、その強さの上昇率は二倍になる。年に一回行くだけで、年に一回行った分だけ、日本代表は強くなるのだ。そしておそらくそれはハーススペースがどうの5レーン理論がどうの喋るよりもずっと日本代表の強化の役に立つ。人は誰でも監督になれるのだから、同様に人は誰でもスポンサになれる。

何を恥じるべきか

そうやってもっとたくさんの人がJリーグのサポータになれば、例えば不可解な監督人事があったとしても「特定の選手を出さなければならないとスポンサから圧力がかかったのだろう」などという恥知らずな意見の信憑性がより薄まる。

ああいうことを言われるのは、サムライブルーのサポータがナメられているからだ。サッカーなんか何もわからない、8年前の勝利の記憶だけで、そのときに出ていたネームバリューのある選手さえ出ていれば喜ぶ愚か者だと思われているからだ。誰もがどこかのJクラブのサポータであり、その勝利を願っているのなら、あんな世迷い言一蹴されただろう。

フットボールを本当に愛していて、本当にそういう理由でヴァハが解任されたと思っているのなら、まずはじめに自分たちが「特定の選手が起用されないと応援しないようなサポータしか育てられなかったこと」を恥じるべきだ。仲間を増やせなかったことを悔いるべきだ。誰かを職から引きずり下ろせと喚き散らす前に、フットボールの真のおもしろさ、その価値を伝えてこられなかった自分を問うべきだ。

あらゆる恐れを持たずに言うのなら、僕はコミケで4冊売った。コピィ本を一部1500円で。6000円分のフットボールのおもしろさを伝えてきた。

勝利至上主義

時々、勝利至上主義は寂しいという人がいる。何故?と思うと、結果しか見ていない、だから過程を評価できないと言う。なるほど、それは実に寂しい勝利至上主義だと思う。

一つの勝敗しかみないのなら勝利至上主義は実に寂しいものだ。けれども、物事は一つだけではない。例えば、ミスを犯した選手はミスを犯した選手だ。そこを一つの勝敗しか見ないのなら、負け、でしかないだろう。けれどもその選手は別の局面でいい仕事をするかもしれない。そしたらそれは、勝ち、だ。ただそれだけの話だ。すべての局面で勝てたら良いと思う。でも、実際はそうではない。ならば、たくさんの勝敗を積み重ねていって、そのすべてについて、あれは負けた、悔しい、あれは勝った、嬉しい、そう思っていくだけである。それは、そんなに寂しいことだろうか?

僕は勝てる試合を日本代表が落としたこと、ベルギー代表に負けたことを本当に悔しく思っている。でも、その過程における勝ちは別のものとして持っている。そして、その悔しさを少しでも減じるために、また勝つことを願って応援していく。

おわりに

後でバレたときに面倒なので書いておく。僕の勤め先はとあるJクラブのスポンサである(そんなにお金を出しているわけではない系らしい)。しかし僕はそのチームをほぼまったく応援していない。基本的に無関心である。それから、なんかよく知らないが、Jクラブがらみの仕事もしているらしい(ほんとうによくしらない)。というわけで、利害関係者ではある。

それから、まあこんなところに書いてもしょうがないのだけれど、僕らに代わって表舞台で戦った、選士(選ばれしサムライ)たちに感謝の気持ちを伝えたい。それを記して、この記事を終わりとする。ありがとうございました。